16人が本棚に入れています
本棚に追加
/55ページ
シングルス3
サーブトスをした結果、田辺が打ち返す方を選んだ。コートは向かいのコートになってしまう。
「離れちゃったね」
少し心配そうに、田辺を見ながら言う塩田。
「3ゲーム後、こっちに戻ってくるから、それまでは声をだして応援するしかないな」
塩田と佐竹が、目を合わせて頷く。
相手の選手が、恋仲中サイドのコートへと来る。コート外にいるボールパーソンから、ボールをふたつもらう。ひとつをポケットに、残りのひとつを手にとって、サーブを打った。
コートを左右に分ける縦のラインに沿うように、ボールが弾む。田辺はそれを斜めに打ち返す。そのまましばらく、斜めで打ち合う。
「なんか変な試合だな……」
佐竹が目を細めた。すると監督が、佐竹たちの近くにきて、見下ろしながら言った。
「おかしな試合だろ? 相手が一歩もその場から動いてないんだ」
塩田が、監督を見上げて聞く。
「監督。それは相手のボールコントロール力が、とても優れているから、ということでしょうか?」
監督は首を振った。
「逆だよ。田辺のボールコントロール力が、高いんだ」
キョトンとした顔で、塩田が聞く。
「どういうことですか?」
監督は腕を組み、コートを睨み付けながら言った。
「田辺はね、ちょっと変わったこだわりをもった選手でね。相手と同じ方向、同じパワー、同じスピードで、相手のコートに返して試合をするのが好きなんだ」
佐竹が叫ぶ。
「え!? それじゃあ、どうやって打ち勝つんすか!? 同じところに返ってくるってことがわかれば、相手も楽してボール打ち返せるじゃないっすか! それに相手も、わざとアウトすれすれの危ういボールとか打って、ミスを誘ったりしてきません?」
監督のおでこに、眉間のシワがよった。
「そこなんだよ。相手が|サーブが打てる範囲内の外角側《ワイド》に打てば、田辺も|サーブが打てる範囲内の外角側《ワイド》に打つ。決め球を打てば、そっくりそのまま返球される。それでだんだんと相手がしびれを切らしてきて、際どいコースを打ってくるようになるんだ。しかもそれが、相手が自滅するまで続くんだから、たまったもんじゃないよ」
塩田が驚いた。
「それを実現するなら、相手のボールを取りこぼさないようなフットワークと、一瞬で相手のボールの回転や方向、パワーなんかを把握できる洞察力とテクニックがないと難しいですよね?」
監督はため息をついた。
「そうさね。宝の持ち腐れと言うか、性格に難ありと言うか。相手のメンタルを削ぎ落とすテニスをするんだよ、田辺は。もっと普通にプレイすればすぐ勝てる相手でも、この戦法を変えないから、試合が長時間になるんだ。毎回、スタミナと集中力が試される試合になるんだよ」
塩田と佐竹がそれを聞き、つばを飲み込んだ。
「なんでそんなテニスを……」
塩田が唖然として聞くと、監督が言った。
「私にもわからないんだよ。いたぶってしゃぶりつくすのが、好きなのかもしれないね」
「しゃぶりつくす……」
佐竹が、口許をひきつらせて言った。
監督の言う通り、田辺はいっさいミスをしなかった。相手のボールをきちんと取り、返球時には真似をして返す。相手がしびれを切らして、ボールを打ったあとネット際に寄っても、ボールは元いた場所へと打ち返される。
しかも際どいコースに打ってきても、難なく涼しい顔でそのまま返球してくるから厄介である。
最初の1ゲームを取ったのは、田辺だった。
「やっと、1ゲーム終わったー! 俺、田辺とは試合やりたくねーな。メンタル、ごっそりやられそう」
べっと舌を出す佐竹。
2ゲーム目、田辺のサーブ。
どう打つのかと思ったら、1ゲーム目に相手が打った場所に正確にサーブを打った。
返球されたボールは、再び同じスピード、同じパワー、同じ方向に打ち返される。
「な、なんか見ていて、胃がキリキリしてきた……」
佐竹が、胃の辺りを手で押さえながら言った。
「確かに、ハラハラする試合展開だね……」
塩田も、コートから目をそらさずに言う。
相手選手も、前に自分が打った場所にサーブを打ってくることに途中で気付き、ボールがくる場所へ先回りして待ち構えている。
完全に打ち返されることがわかっていながらも、全く同じように打ち返してくる田辺。
「田辺ー! 粘っていけ!」
赤星がスタンド席から立ち上がって、応援している。
「監督。田辺くんの勝率って、今のところどれぐらいなんですか?」
上目使いで聞いてくる塩田に、内心きゅんとしながら、監督が言った。
「聞きたいかい?」
「はい。もちろん。次の試合の準備もありますし、心づもりもしておいた方がいいかと思いまして」
監督は少し唸ったあと、言った。
「王子中相手の勝率は、五分って所だ。相手が事前にデータを取っているなら、試合が長時間化するから、スタミナや集中力によって勝敗が決まる。だが、今回はどうなるかわからないねぇ」
「そうですか、ありがとうございます。じゃあ俺、少しアップしてきますね」
塩田が立ち上がると、スタンド席上部にいるファンクラブのメンバーもざわめいた。
スタンド席をあとにしようとする塩田の背中に、監督が声をかける。
「塩田。試合は、見ないのかい?」
「長くなりそうですし、俺の相手はあの佐藤だから。今のうちにできる準備は、しておきたいんです。佐竹、試合が終わりそうになったら、スマホに連絡くれる?」
「お、おう。わかった!」
「ありがとう、よろしくね。じゃあ行ってきます」
塩田がスタンド席を去った。その後を追うように、塩田ファンクラブのメンバーも一列になってついていく。
「あんな調子で、練習出来っかな……?」
苦笑いをしつつ、佐竹が言った。
「人の目がある分だけ、頑張るだろうさ。それより今は、試合だよ! 声だしてきな!」
監督の言葉を聞いて、佐竹は田辺を大きな声で応援する。赤星や磯山ツインズも、その場で立ち上がり、叫ぶように応援していた。
その甲斐あってか、田辺が2ゲーム目も取った。
最初のコメントを投稿しよう!