シングルス3

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シングルス3

サーブトスをした結果、田辺が打ち返す方(リターンする方)を選んだ。コートは向かいのコートになってしまう。 「離れちゃったね」 少し心配そうに、田辺を見ながら言う塩田。 「3ゲーム後(コートチェンジの時)、こっちに戻ってくるから、それまでは声をだして応援するしかないな」 塩田と佐竹が、目を合わせて頷く。 相手の選手が、恋仲中サイドのコートへと来る。コート外にいるボールパーソンから、ボールをふたつもらう。ひとつをポケットに、残りのひとつを手にとって、サーブを打った。 コートを左右に分ける縦のライン(センターサービスライン)に沿うように、ボールが弾む。田辺はそれを斜め(クロス)に打ち返す。そのまましばらく、斜め(クロス)で打ち合う。 「なんか変な試合だな……」 佐竹が目を細めた。すると監督が、佐竹たちの近くにきて、見下ろしながら言った。 「おかしな試合だろ? 相手が一歩もその場から動いてないんだ」 塩田が、監督を見上げて聞く。 「監督。それは相手のボールコントロール力が、とても優れているから、ということでしょうか?」 監督は首を振った。 「逆だよ。田辺のボールコントロール力が、高いんだ」 キョトンとした顔で、塩田が聞く。 「どういうことですか?」 監督は腕を組み、コートを睨み付けながら言った。 「田辺はね、ちょっと変わったこだわりをもった選手でね。相手と同じ方向、同じパワー、同じスピードで、相手のコートに返して試合をするのが好きなんだ」 佐竹が叫ぶ。 「え!? それじゃあ、どうやって打ち勝つんすか!? 同じところに返ってくるってことがわかれば、相手も楽してボール打ち返せるじゃないっすか! それに相手も、わざとアウトすれすれの危ういボールとか打って、ミスを誘ったりしてきません?」 監督のおでこに、眉間のシワがよった。 「そこなんだよ。相手が|サーブが打てる範囲内の外角側《ワイド》に打てば、田辺も|サーブが打てる範囲内の外角側《ワイド》に打つ。決め球を打てば、そっくりそのまま返球される。それでだんだんと相手がしびれを切らしてきて、際どいコースを打ってくるようになるんだ。しかもそれが、続くんだから、たまったもんじゃないよ」 塩田が驚いた。 「それを実現するなら、相手のボールを取りこぼさないようなフットワークと、一瞬で相手のボールの回転や方向、パワーなんかを把握できる洞察力とテクニックがないと難しいですよね?」 監督はため息をついた。 「そうさね。宝の持ち腐れと言うか、性格に難ありと言うか。相手のメンタルを削ぎ落とすテニスをするんだよ、田辺は。もっと普通にプレイすればすぐ勝てる相手でも、この戦法を変えないから、試合が長時間になるんだ。毎回、スタミナと集中力が試される試合になるんだよ」 塩田と佐竹がそれを聞き、つばを飲み込んだ。 「なんでそんなテニスを……」 塩田が唖然として聞くと、監督が言った。 「私にもわからないんだよ。いたぶってしゃぶりつくすのが、好きなのかもしれないね」 「しゃぶりつくす……」 佐竹が、口許をひきつらせて言った。 監督の言う通り、田辺はいっさいミスをしなかった。相手のボールをきちんと取り、返球時には真似をして返す。相手がしびれを切らして、ボールを打ったあとネット際に寄っても、ボールは元いた場所へと打ち返される。 しかも際どいコースに打ってきても、難なく涼しい顔でそのまま返球してくるから厄介である。 最初の1ゲームを取ったのは、田辺だった。 「やっと、1ゲーム終わったー! 俺、田辺とは試合やりたくねーな。メンタル、ごっそりやられそう」 べっと舌を出す佐竹。 2ゲーム目、田辺のサーブ。 どう打つのかと思ったら、1ゲーム目に相手が打った場所に正確にサーブを打った。 返球されたボールは、再び同じスピード、同じパワー、同じ方向に打ち返される。 「な、なんか見ていて、胃がキリキリしてきた……」 佐竹が、胃の辺りを手で押さえながら言った。 「確かに、ハラハラする試合展開だね……」 塩田も、コートから目をそらさずに言う。 相手選手も、前に自分が打った場所にサーブを打ってくることに途中で気付き、ボールがくる場所へ先回りして待ち構えている。 完全に打ち返されることがわかっていながらも、全く同じように打ち返してくる田辺。 「田辺ー! 粘っていけ!」 赤星がスタンド席から立ち上がって、応援している。 「監督。田辺くんの勝率って、今のところどれぐらいなんですか?」 上目使いで聞いてくる塩田に、内心きゅんとしながら、監督が言った。 「聞きたいかい?」 「はい。もちろん。次の試合の準備もありますし、心づもりもしておいた方がいいかと思いまして」 監督は少し唸ったあと、言った。 「王子中相手の勝率は、五分って所だ。相手が事前にデータを取っているなら、試合が長時間化するから、スタミナや集中力によって勝敗が決まる。だが、今回はどうなるかわからないねぇ」 「そうですか、ありがとうございます。じゃあ俺、少しアップしてきますね」 塩田が立ち上がると、スタンド席上部にいるファンクラブのメンバーもざわめいた。 スタンド席をあとにしようとする塩田の背中に、監督が声をかける。 「塩田。試合は、見ないのかい?」 「長くなりそうですし、俺の相手は佐藤だから。今のうちにできる準備は、しておきたいんです。佐竹、試合が終わりそうになったら、スマホに連絡くれる?」 「お、おう。わかった!」 「ありがとう、よろしくね。じゃあ行ってきます」 塩田がスタンド席を去った。その後を追うように、塩田ファンクラブのメンバーも一列になってついていく。 「あんな調子で、練習出来っかな……?」 苦笑いをしつつ、佐竹が言った。 「人の目がある分だけ、頑張るだろうさ。それより今は、試合だよ! 声だしてきな!」 監督の言葉を聞いて、佐竹は田辺を大きな声で応援する。赤星や磯山ツインズも、その場で立ち上がり、叫ぶように応援していた。 その甲斐あってか、田辺が2ゲーム目も取った。
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