ep.11

1/1
365人が本棚に入れています
本棚に追加
/79ページ

ep.11

 翠川さんからの電話だと思ったそれは、事務所に俺宛の彼からの荷物が届いたという知らせだった。あまりのタイムリーさに驚いて、俺と実希子さんはすぐに事務所に向かった。 「荷物ってなんなんでしょう、今ごろになって」 「いろいろごめんなさい、っていうお詫びの品とかじゃない?」 「そんなことってあります?」  実希子さんと俺は、こじんまりとした箱を見下ろしていた。確かに宛名は「玉井圭吾様」だし、差出人は「翠川惇」となっていて、その住所は桧垣さんの事務所ではなく彼の自宅のようだった。実希子さんは急に声を潜めて言った。 「まさか危険物じゃないでしょうね」 「そんな、いくらなんでもそれは考えすぎでは・・・」 「そうよねえ」  怖いことを言われて包みを開ける手が止まった。はやくはやく、と急かされておそるおそる包み紙を開いて、中から段ボール箱を取り出した。二十センチ四方の箱の蓋をあけると、丁寧にパッキングされた丸いものが出てきた。割れ物のようだった。 「なに?」 「な・・・なんでしょう・・・」  危険物ではないことに安堵して、俺はパッキングを一枚ずつ剥がしにかかった。幾重にも折り重なった紙のなかにいたのは、片手に収まるサイズの小さな器。  その色は深紅だった。  実希子さんが感嘆の声をあげた。 「わあ、きれいな赤ねえ!」 「器・・・・・・」 「桧垣さんの作品かしら?」  俺も同じことを思った。が、確かに色は綺麗だが作品のクオリティで見るとこれは初期のものだ。俺は器を持ち上げた。そしてその肌触りにはっとした。 「翠川のやつ、なんでこれをたまちゃんに?」 「・・・・・・」  確信した。この器は、俺が桧垣さんの個展で一番気に入った青い器の対だ。桧垣さんは対の器の色が「赤」だとは言っていなかった。片割れを持っている俺だから、その肌触りで気づけたのだ。 「あ、ねえ、下に手紙入ってるわよ」 「手紙?」  器の下に白い封筒が入っている。表書きは無く、後ろに「翠川 惇」と筆文字で差出人の名前があり、蝋で封をしてあった。  俺は実希子さんと視線を合わせた。そしてその封筒を開いた。真っ白い便せんには、直筆であろう流れるような翠川の文字が並んでいた。           ☆  玉井圭吾様  いきなりの連絡、お許しください。    いままで私はあなたに数々の無礼をはたらいてきました。まずは謝罪させてください。本当に申し訳ありませんでした。  ご存知のとおり桧垣と私は学生時代からの付き合いであり、ここ数年はマネージャーとして彼に関わってきました。絵に描いたような芸術家肌の桧垣と、仕事の成功を最優先に考える私との間には、次第に深い溝が出来ていきました。それでも私たちが二人三脚で進んで来られたのは、若かりし日の約束があったからでした。  それは、「桧垣出流」という名前が世界で通用するまで、決して進むことをやめない、ということでした。大学時代、酒を飲みながら話した戯れ言ではありましたが、私のモチベーションは他でもないこの時の約束だったのです。  桧垣はあのような性格ですから、まるで約束を忘れてしまったかのように見えた時もありましたが、陶芸に関してだけはどこまでもストイックでした。量産を嫌い、こだわり抜いたものだけを世に出したい桧垣と、求められるものを作るべきだという私の意見はいつでも平行線でしたが、私たちの思惑の外側で、桧垣の名は着々と人々に知られていくこととなりました。    そんな中、あなたと知り合った桧垣は私の知らない桧垣となりました。やっとの思いでこぎ着けた海外での個展の話がすすみ始めたのが、まさにあの頃でした。  私が嬉々としてその計画を桧垣に伝えると、彼は「それよりもいずれ好きなものだけを作って暮らしたい」と言い出しました。  失礼を承知で申し上げますが、私は桧垣の言い分が一時の気の迷いだと思っていました。疲れているのだと、少し休めばきっといつもの桧垣に戻ると思っていました。しかし桧垣は次第に私との約束を忘れ、あなたに本気になっていきました。それでも海外の個展を成功することで元の桧垣に戻るだろうと向かった先で、交通事故に遭ったことはご承知のとおりです。  そしてこの先は、あなたに話していないことになります。  事故によって一部の記憶を失った桧垣に、私は新しい記憶を植え付けました。あなたのことを思い出しかけた桧垣に、私は残酷にも「おまえと玉井圭吾は別れている」と告げました。おそらく今でも、桧垣は自分が原因であなたとの関係が壊れた経緯があると信じているでしょう。その後私は桧垣とは仕事だけの繋がりで、個人的な連絡は取っていません。  あなたと桧垣が暮らし始めたことは聞いています。まだ桧垣の記憶が安定しない理由は、私にあります。  私はあなたたちの関係を壊しただけではなく、いつしか桧垣に暗示をかけてしまったようです。その暗示の内容はここでお伝えすることは出来ません。どうかお許しください。    ですが、この器がその暗示を解く鍵になります。おそらくこの対になる器はあなたのそばにあるでしょう。  これを桧垣に返してください。  わたしはひねくれた人間です。ここで、あなたと桧垣の幸せを願います、と言えればいいのですが、それは何度試みても、難しく、無理でした。  おわかりでしょうが、私はずっと桧垣のことを愛していました。それは友愛から始まり、ねじ曲がり、執着めいた愛情に成り代わりました。私を支えてくれる友人はおりますが、私の中で愛情を注ぐべき相手は「桧垣出流」ただひとりなのです。  ですが心配しないでください。私は決してあなたたちの前に姿を現すことはしません。  最後にひとつだけ、お願いです。  桧垣に、陶芸だけはやめないでくれと伝えてください。                   翠川惇
/79ページ

最初のコメントを投稿しよう!