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ep.3
「ニュース見た?火事の」
「見た見た。まだ消火しきれてないんだってね」
「怖いよねー」
女性たちが盛り上がる中、俺はテンションを上げて入っていった。
「おはようございまーす、何の話ですか?」
「おはようたまちゃん!ニュース見てないの?」
「今朝ぎりぎりに起きちゃって」
「山火事あったんだって、昨夜」
「山火事?」
誰かが俺の腰をつついた。こんなことをするのはやっぱり。
「実希子さん、おはようございまーす」
「おっはよー、ほら見て、これよ」
実希子さんが自分の携帯で見せてくれたのは、その火事のニュースだった。山の麓の東屋から火が出て、山肌まで広がったという。怪我人は出ていない。
「へえ・・・」
「たまちゃん、あのね、ちょっと」
「はい?」
実希子さんはほかの女性社員に聞こえないように小声で俺に耳打ちした。
「ここ、あれなんだって、あの人の工房」
「あの人?」
「ほら、たまちゃんが車ぶつけた陶芸家」
「えっ?!桧垣さんの?!」
記事には桧垣出流の名前はなかった。
「実希子さん、何で桧垣さんだってわかったの?」
「ネットニュースよ。本当かどうかは微妙だけどね」
「あの人の工房が・・・」
実はあの後、実希子さんの言葉が気になって、「桧垣出流」の作品をネットで探してみた。一躍有名になった作品はもちろんとんでもない値段で、どこか海外のコレクターが持っているとか。その後も何作品か世に出したそうだが、どれも法外な値段がついていた。「桧垣出流」の作品だけを扱うホームページも見つけた。しかし全てSOLDOUTになっていた。
もともと買える金額じゃない。でもひとつだけ、すごく惹かれる作品があった。
「工房ってことは、作品も燃えちゃったんでしょうか・・・」
「そうね・・・ご本人は無事だったみたいだけど、ショックでしょうね」
その火事は昼のニュースでも取り上げられ、真っ黒に焼け落ちてほとんど原型を留めていない東屋の映像が映った。
一瞬でも関わりのあった人の工房が焼けてしまったことは、何とも言えない気持ちになった。実希子さんは食事の機会が・・・なんて言っていたが、それどころではない。それから数日がたち、なんとなくその話題も薄れてきたころ、休憩中の俺を再び実希子さんが呼んだ。
「たまちゃん、たまちゃん、ちょっと大変!」
「ふえ?」
パンをもぐもぐしていた俺に、切羽詰まった実希子さんが駆け寄ってきた。
「どうしました?」
「今ね、社長から連絡があって、やばいのよ」
「え、あの、なにがやばいんですか?」
「すごい人が来るのよ!それもわざわざタッチアップに!」
「タッチアップ?」
女優かアイドルかそのあたり?実希子さんは力強く俺の肩を掴み、鼻先五センチで言った。
「たまちゃんをご指名なのよ」
「・・・・・・は?」
「は?じゃないわよ。そうと決まれば徹底的に綺麗にしなきゃ。準備よ」
「実希子さん、準備ってなにを・・・」
「あたしがたまちゃんのメイクしたげる!」
「えっ?!な、なんで?!」
「はい完成!うーん、我ながら上出来!」
「ちょっと実希子さん、そろそろ教えてくれません?」
「うん?」
「俺は誰のタッチアップをするんですか?」
「この間、火事の話したじゃない」
「火事・・・?ああ、桧垣さんの・・・」
「あれ、本当だったみたいなの」
「?・・・そ、それで?」
「今日のお客さん、桧垣さんのマネージメントしている人なんだって」
「そのマネージャーさんのタッチアップってことですか」
「ううん、そうじゃなくてね」
実希子さんが言うには、火事の時に桧垣さんは顔や首のあたりに軽い火傷を負い、痛みはないものの、痣が残ってしまったという。しかし今夜テレビ収録の仕事があり、その痣を隠さなければならない。そこでマネージャーさんから「そちらのBAの玉井という人にお願いしたい」と連絡があったというのだ。
「それならテレビ局にメイクさんがいるんじゃないですか?」
「あたしもそう言ったんだけど、桧垣さんが嫌がったらしいわ。知らない人間に顔を触られたくないって」
「お・・・俺だって、車ぶつけただけで知り合いじゃないですよ」
「でも面識あるだけ、桧垣さんにとっては良かったんじゃない?」
「・・・なんか怖いんですけど」
「名刺渡したのが功を奏したわね。これで繋がりが持てるわよ」
「実希子さん、話聞いてます?」
「やあね、たまちゃんたら逃げ腰!チャンスよチャンス」
「最初の印象が悪すぎて、どんな顔して会えばいいのか・・・」
「向こうがお願いしたいって言ってるんだから、こっちはどんと構えてりゃいいのよ。ほら見て、今日のたまちゃんは特別綺麗よ」
そう言って実希子さんは丸いミラーを持ち上げてくれた。俺は自分のメイクスキルを信じているが、実希子さんにはまったくかなわない。男であるとか女であるとかの前に、彼女にメイクしてもらうと、肌はまさに陶器のように滑らかになるし、目元も鼻筋も眉も頬も、欠点を絶妙に活かしたうえで、それはそれは美しくなる。
「自信持って!相手が有名人だろうが、たまちゃんのタッチアップは一流よ。桧垣さんを格好良くしてさしあげなさい」
「実希子さぁん・・・」
よしよしと頭を撫でられて、うっかり泣きそうになってしまった。実希子さんが本当の姉だったらどれだけ良かっただろう。
しかし、桧垣出流はそう簡単に攻略できる男ではなかったのだ。
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