第一章

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2  雨音が聞こえる。 季節はもう冬に差し掛かるのに、まるで梅雨入りしたばかりのような激しい雨音が耳に響き渡る。 目の前に見える物は何も無い。 ただ雨音だけが聞こえてきて、その雨で体が濡れていく感覚も無いのに、その音はまるで外に居るかのように近くに感じる。 かと言って傘を手に持っている感じもしない。俺は…どこに居るんだ? 〈どこって…これはあなたが望んだ事でしょ?〉 激しい雨音に混じって、聞き慣れた声も聞こえてくる。 「じゃあこれは…お前が降らせた雨なのか…?」 〈ややこしいけどそうだよ。〉 あ、そこは認めるんだ…。 〈何も見えないのが不安ならその目を開けて見たら良いよ。〉 そうか、俺は目を閉じていたのか。 言われるがままに目を開く。 すると真っ暗闇にただ雨だけが延々と降り注ぐ景色が広がる。 それ以外は何も無いし、頭上には雨を防ぐ屋根すらない。 思わずそっと手を伸ばすも、雨粒は手をすり抜け、ただ下へ、下へと落ちていく。 〈この雨はあなたの心に降る雨だから。 直接手で触れる事は出来ない。〉 「心に…。 なぁこの試練って…。」 〈あなたはこれまでに、あの時こうしていたら、こうしなければ良かったと思った事が今の他にある?〉 「そりゃ…俺にだっていくらでも…。」 〈小学生の時テスト前にトイレに行かなかったからテスト中に漏らした事とか?〉 「ぶふっ!?な、なんでそんな事を…!? っ…!?」 言いながらふと前を見ると降り注ぐ雨の先に、そんなトラウマとも言える俺の過去が映し出されていた。 「のわぁぁぁやめろ!プライバシーの侵害だぁぁぁあ!」 俺の大絶叫は真っ暗な世界に空しく響き渡る。 〈プライバシーも何も…ここはあなたの過去を映す世界。 この雨はあなた自身の過去を映し出す鏡。〉 「な、なんて屈辱的な…。」 〈でも、あなたが本当にやり直したいのはこんな過去じゃないでしょ?〉 そう言う口調はからかい口調ではなく真剣な物だった。 「何が言いたいんだよ?」 〈言わないと分からないの?あなたには他にもっとやり直したい過去があるはずだよ。〉 「っ…!?」 〈先に言っておくけど嘘を吐いても意味は無いよ。 私はこの力を使えば未来だけでなくあなたの過去を見る事も出来る。」 言われて思い浮かぶ景色は一つだった。 次第にさっきまで降りしきる雨の向こうに見えていた幼かった日々の景色が、思い出したくもないけど忘れられもしないあの中学生時代の自分が映る。 思わず表情が険しくなったと思う。 〈図星みたいだね。〉 聞かれて何も答えられなかった。 それは雨からすれば無言の肯定になるのだろう。 〈雨幻は相手の心に雨を降らせる力。 この雨は今まであなたが受けた不幸やトラウマが具現化して繰り返し降り続いている物。〉 「だからさっきの景色が見えてたのか…。」 〈人間には誰しも思い出したくない、すぐにでも忘れてしまいたいようなトラウマやそれを抱えるに至った過去がある。 それが多ければ多いほど、それを突きつけられ続けるこの世界は苦痛になり得る。 一つの過去を変えるために、過去のトラウマを見続ける事に耐えきれずに自殺する人間だっている。 あなたはそれでもその先を見るの? この雨の中に飛び込むの? 「…当たり前だろ。」 本当は少し怖い。 でも今更行かないなんて選択肢も無かった。 〈あなたならそう言うだろうと思ってたよ。 さぁ、濡れる事を恐れないのなら踏み出して。 その雨が止む場所にたどり着くまで歩み続ける事を止めないで。〉 言われて静かに頷く。 一歩ずつ踏み出すと、次第に景色がまた暗闇に変わる。 それが次第に中学時代に見慣れた校庭の風景に変わる。 校門前には桜が咲いている辺り、季節は春だろう。 「ここは…。 黒中…の校庭か?」 黒中、こと黒沢中学。 俺の母校だ。 見覚えのあり過ぎる景色に戸惑って辺りを見回していると、突然走ってきた一人の男子生徒とぶつかりそうになる。 「うおっ!?危ね!ちゃんと前見…あれ?」 ぶつかるかと思ったが、その男子生徒はそのまま俺の体をすり抜けて行った。 〈当然だよ。 ここはあなたの過去だもん。 今のあなたは本来この場に居ない存在なのだから、認識される事も無ければ触れる事すら出来ない。〉 「そ、そうか…。」 気を取り直して校庭を進む。 広がる景色はどこを見てもあの頃の景色そのままで、不気味とも言える。 「ん…?」 しばらく歩いて校舎裏に差し掛かると聞き覚えのある声が聞こえてくる。 「や、やめてよ。」 しゃがみ込んで必死に顔を両腕で守っている生徒を、何人かの柄の悪そうな男子が囲って暴行を繰り返していた。 「おいお前ら!」 それを見て溜まらず叫ぶも、さっき雨に言われた事を思い出す。 そんな俺の叫びが当然聞こえてすらいない男子生徒らは一切手を止めようとはしなかった。 〈彼の事、あなたは覚えている?〉 「あぁ…。」 忘れる訳がない。 神門神楽。 俺にとって初めて出来た親友だ。 そう思い出した所でさっきまで居た校庭から、場面は放課後の教室に変わる。 確かこの日は中学に入ってまだ一週間くらいでたまたま明日までにやる宿題を忘れたとかで大慌てで取りに帰ってたんだっけ。 そこで俺は、クラスメートだったのに初めて神楽と関わったんだ。 自分の席に行き、机の中に入れていたプリントを取り出していると、付近でごそごそと音がしたのが気になった。 よく見ると、誰かが隅っこでしゃがみ込んで何かをしているようだった。 「何してんの?」 「うひゃぁぁぁ!?」 「うおっ!?」 驚かせてしまったらしく大げさなほどに驚くそいつ、そしてその反応に俺まで驚く。 「あぁ…いや、すまん。 驚かすつもりはなかったんだが。」 いまだに動揺していて何かを話せるような様子でもなかったから、代わりに俺から声をかける。 「えぇ!?う、うん僕の方こそびっくりしちゃって何も言えなくてごめんね!」 「ってなんだ、神門か。」 「え、あ、海真君。」 流石にあまり話した事が無いとは言え、クラスメートの顔と名前ぐらいは認識してるつもりだ。 だから顔さえ見ればすぐに分かった。 とは言えあまり話した事が無いと言うよりは、彼自身があまりクラスの奴らと話してるところをあまり見ない。 休みの時間は大体どこかに行っていたり、分厚い本を熟読しているからあまり話す機会もない。 特別親しそうな人は居なさそうながら感じ悪いタイプでもなく、クラスメイトが話しかければ今みたいに驚きはするものの、とても柔らかい態度で返す。 ただ、まぁ…クラスの雰囲気には全然馴染めていないのが難点か。 「で、何してたんだよ?そんなところで。」 「え!?あ、えっと…。」 言おうかどうか迷っているみたいだ。 気まずそうに目線を下にずらして、言葉を探しているようだった。 「あ、いや、まぁ言いたくないなら別に良いわ…。 驚かせて悪かったな。」 別に無理矢理聞き出したいと言う程興味も無かったし。 さっさと帰ろうとプリントを鞄に突っ込んでいると、神楽は一度考え込むような仕草を見せる。 「そ、その…。」 「ん?」 「聞いても笑わない?」 そう言う口調はいかにも遠慮がちで、目はこちらの顔色を窺っているような感じだった。 「うーん。」 言われて一度考える。 「内容によるかなぁ。」 「な、内容によっては笑うんだ。」 「いや、まぁそこは確信持てないし。」 「そこは嘘でも確信持って言って欲しかった んだけどなぁ…。」 「…なぁ、もしかしてさ。」 「う、うん…何?」 「本当は言いたかったりする…?」 「あ、いや…べ、別にそ、そんな事は…。」 思いっきり目が泳いでいる。 冷や汗だらだら垂らしてる。 分かり易いなぁ…。 「良い、分かった聞いてやるから…。」 「う、うん…ありがとうその…出来れば秘密にして欲しいんだ。」 余程重要でデリケートな話題らしい。 思わず身構えるていると、意を決したように神楽は口を開く。 「ぼ、僕…じ、実は退魔師なんだ。」 「大麻…?それは流石に…。」 「いやそれ絶対別の何かと勘違いしてるよね!? 違うからね!?退魔師!お祓いする人だから!」 「なんだ…。」 「勝手に勘違いして勝手に安心するのやめてもらるかな!?」 「大丈夫、俺はちゃんと信じてたから…。 クラスメイトが違法薬物に手を出すなんて…。」 「ちゃんと目を見て言ってもらえないかなぁ!? それにやっぱり分かってて言ってたんじゃないかぁぁぁぁ!?」 神楽君大絶叫。 うーん…ちょっといじめ過ぎたかしらん…。 「で、退魔師…だっけ?」 「う、うん…そう…。 びっくりした?」 「あー…いや急に言われてもなって感じ。」 「そ、そっか…そうだよね。 退魔師なんて普通に生きてたらまず関わらないと思うし、僕もまだ半人前だから…前に居た学校ではバレてこの事を話したらクラスの皆の笑いものにされた。」 「そうだったんだな…。」 実際、中学生って言うのは多感な時期だ。 その分ストレスも多く、常にそれを吐き出す場や面白い物を求めている。 神楽みたいに浮いた存在は悪目立ちするし、そいつが普通じゃない事を言い出したら面白がってからかう奴が現れても不思議じゃない。 「だからさ、こうして放課後とか休憩時間とかに隠れて仕事をするようにしてたんだ。 多分誰も信じてくれないし、また笑われるって思ってたし…。」 「それでいつも一人だったって訳か。」 「あぁ…うん。 僕はまだ半人前だから仕事に他の人を巻き込むわけにいかないし…一人で居る事の方が多かったから…。」 「そっかぁ。」 「あ、ごめん…急にこんな話をして…。」 「いや、気にすんなよ。 嘘を吐いてないってのは分かるし俺は信じるぞ。」 「え…?」 呆気にとられた様な表情。 「いや、分かるだろ…。 嘘吐いてんのにそんな辛そうな表情なんてするか?」 「え、でも…良いの? そんな簡単に信じちゃって。」 「だから、良いって言ってるだろ? 信じれたんだから信じる。 友達ってそんなもんだろ?」 「と、友達?その…僕と君が?」 「何だよ、嫌なのか?」 そう聞きつつもここでうんとか言われたら多分俺は立ち直れなかった…。 でも実際ちょっと話してみただけではあるものの、悪い奴ではないように思えた。 仕事の事で理解されない不安だって話を聞いていれば分からなくもない。 でもこうして話してくれたのは、少なからず理解してくれる存在が欲しかったからじゃないかと思う。 言っておいてちょっと不安にもなったが、それも杞憂に終わったようだ。 彼の表情は同い年の少年にしては少しあどけなく、無邪気で幸せそうな表情が顔一杯に広がっていた。 「い、いやじゃない!すごく嬉しいよ!」 「そっか、じゃぁ宜しくな。」 「うん!」 そう言って握手を交わす。 そしてこれを機に、俺と神楽は友達になったのだった。 それからは千里も交えて三人で居る事が増えた。 最初は半信半疑だった神楽の仕事も、実際に間近で見てからは信じれるようになったし、純粋にすごいとも思えた。 「桐人君、君のおかげで毎日が楽しいよ。 本当にありがとう。」 「はは、何言ってんだよ。 そんなの俺だってそうだよ。」 素直な気持ちだった。 実際、その時はまだ千里以外で特別クラスに仲の良い奴もいなかったし、そう考えたら神楽は俺にとって初めて出来た仲の良いクラスメイトだった。 それがなんだかすごく新鮮で、それでいてすごく嬉しかった事を今でもよく覚えている。 こんな日々がこれからも続けば良い、いや、続くんだと心のどこかで思っていた。 〈でも、続かなかった。〉 突然割って入ってきた雨のテレパシーを聞いて、現実に引き戻される。 そうだ。 この時はずっと続くと信じて疑わなかった幸せが、けして長くは続かない事を考えようともしなかった。 「なぁ海真ってさ、神門と仲良いのかよ。」 ある日の休み時間。 柄が悪くてあまり評判が良くないクラスメイトの男子からそんな事を聞かれた。 名前は日阪。 「まぁ。」 正直あんまり関わりたくないが無視するとそれはそれで面倒な事になりそうなので、仕方なく返事を返す。 「うっは、マジかよ。 あんな奴と仲良くなれる奴とかマジでいんのな。」 馬鹿にされている、と言うのはすぐに分かった。 言い終わった後も、笑うのを止めようともしない。 そう、こいつは早い段階で神楽に目を付けていた。 「やめとけって、あいつに関わったら変な魔物だとかに取り憑かれちまうぜ。 あ、もしかしてもう取り憑かれてんのかもな。」 そう言う声は結構な声量で、笑い声も含めてクラスメイト全員に聞かせる目的でわざとそうしているようにも見えた。 いや、実際そうなのだろう。 当然その声は神楽にも聞こえたのだろう。 気まずそうに俯く表情は、あまりに痛々しい。 「えー日阪何その話。」 近くに座っていた女子がそれに反応する。 確か日阪とよくつるんでいるグループの女子で、名前は藤波。 「いや俺さ、こないだ見たんだわ。 あいつがさ、なんて言うの? 悪霊退散!みたいな事してんの。 あれマジ傑作だったわ。」 「うっそ、やば。」 二人して喋りながらゲラゲラと笑う。 それを見て同じグループにいる奴らも一緒に笑い出す。 気持ち悪い。 一番最初に頭に浮かんだ感想はそれだった。 以前にも神楽はこう言う体験をしたと言っていた。 だから誰にもバレないようにこっそりと仕事をやってきた。 本来ならそんな思いをしたらこんな仕事をしたいなんて思わないだろう。 少なくとも俺が同じ立場だったならそんな仕事二度とやりたいと思わないし、それが親の指示だったからなら大喧嘩してでもやめていたと思う。 でも神楽はやめなかった。 誰にもバレないようにひっそりと。 友達を作るのさえ諦めて、きっと正しい事だからと仕事を続ける事を選んだんだ。 それなのに。 バレてしまった。 俺だけじゃない、よりにもよって一番バレちゃいけない奴に。 こいつらはそんな神楽の思いを全く知りもしない癖に、勝手な想像と偏見だけであいつ事を馬鹿にして面白がってるんだ。 気持ち悪い事この上ない。 「あいつは…!」 言い返そうと思って声を上げようとしたところで、チャイムが鳴る。 「おー、さっさと席に戻れよー。」 それと同時に、担任が入って来る。 「ちっ、つまんねぇの。」 ぶつくさ言いながら日阪は自分の席に戻ってしまう。 その間、クラスにはなんとも言えない微妙な空気が漂っていた。 一方の神楽はとても居辛そうにただただ下を向いていた。 なんであいつがあんな思いしなきゃいけないんだよ…。 間違った事なんて何もしてない。 むしろ地道に一人で俺達の為に頑張って来たのに。 やりきれない思いから、その日はその後の授業に全く集中出来なかった。 それから。 神楽の噂は皮肉にも一瞬で広まった。 それは同じクラスだけじゃなく他のクラスにも広まっているらしく、廊下で神楽を見かけると何かひそひそと話し出す男女も目に付いた。 そして場面は最初に見たあの校舎裏の場面に移り変わる。 あれ以降、日阪は度々神楽を連れだし、あんな風に仲間と校舎裏でいわゆるシメると言う行為をするようになった。 「ごめんね、桐人君。 せっかく仲良くしてくれたのに。 でも僕と仲良くしたらきっと桐人君にまで迷惑をかけちゃうから。」 そんなある日の放課後の教室で、神楽がそう俺に告げてきた。 そう言う表情は本当に辛そうで、正直見ていられなかった 「何言ってんだよ!? お前は別に何も悪い事してないだろ!?」 腹が立った。 神楽にそんな事を言わせるあいつらも、そしてこんな事が仕方ない事だと思ってそんな言葉を俺に向けてくる神楽にも。 「あ、なんだよ。 まだそんな奴と仲良くしてんの?うけるわ。」 丁度部活が終わったのか帰ってきた日阪と、その連れらがそれを見て笑い始める。 その不適な笑みに、神楽は一瞬肩を震わせて俯く。 「ちょっとー教室に陰キャオーラまき散らさないでよね。 退魔師なんでしょあんたw」 それに藤沢も加ってまたあの気持ち悪い感情が芽生える。 お前らにあいつの何が分かるんだ。 その言葉が脳裏をかすめた後。 俺の中で何かがプツンと切れた気がした。 それからの事はいまいち覚えていない。 後になって担任に聞いた話によると、お前らにあいつの何が分かるんだと日阪に掴みかかり、止めようとした日阪の連れも振り払って取っ組み合いの喧嘩をしたらしい。 やがて藤沢が連れてきた担任に止められ、事態は収束させられた、らしい。 気付いた時には話を聞いて迎えに来たらしい父さんの車の中にいた。 その間、父さんはどうしてこんな事をしたのかと無理に聞こうとはしなかった。 ただ、帰ってから母さんには怒濤の勢いで聞かれたが、言う気も無かったし、そもそも記憶さえ曖昧だった俺は何も答える事が出来ずに部屋に戻った。
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