第一章

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3  翌日、俺は昨日の一件で担任と校長から母さん同席の元、事情を聞かれた。 とは言え、担任と校長からの心証はお世辞にも良いとは言えない物だった。 実際それも仕方ないのかもしれない。 理由はどうあれ先に手を出したのは俺の方だ。 そして、それを担任に告げ口したのが、日阪の連れである藤沢だと言うのも良くなかった。 あの場に居たのは俺と神楽を除けば日阪とその連れだけ。 仮に神楽が事情を話してくれたとしても多勢に無勢だ。 もしかしたらある事無い事まで吹き込まれているのかもしれない。 母さんにも詳しい事情を話せなかった俺がこの場でも事情を話せる筈もなく、俺は一週間の停学と反省文の提出を言い渡された。 それから母さんに連れられ帰る最中、通り過ぎる生徒達が俺を見てひそひそと話をしてるのが目に付いた。 「あ、あいつだろ?いきなり日阪に殴りかかった奴。」 「こえぇよなぁ…。」 「てかあいつあの神門と仲良かったってまじ?ないわー。」 話す声は小さいのに、嫌でも耳に残る。 むしろ、わざと聞こえるように言っているのではとも思えるほどに。 そしてそのまま歩いていると、たまたま通りかかったのだろう日阪と目が合う。 昨日の喧嘩の治療跡か頬にはガーゼが当てられている。 すれ違いざま、日阪は言った。 「ざまあねぇな。」 「っ!?」 思わずそのまま固まる。 そうしている間に、日阪はさっさと行ってしまった。 昨日のようにその場で手を上げる事だって出来たのかもしれない。 でも出来なかった。 何でだよ。 頭の中にある確かな疑問と不満。 自分は間違った事なんてしていない。 間違ってるのあいつらの方じゃないか。 そんな気持ちの悪い思考がぐるぐると頭の中で回り続けている。 「ちょっと桐人、あんたたが手を出したのってあの人でしょ…? 何か一言…。」 「別に…。」 謝ろうなんて気は全く起きなかった。 だってそれは、自分が間違っているのを認める事だから。 それは友達だと思っていたあいつの気持ちを裏切る事にもなると思ったから。 正直反省文だって書きたくないし書ける気もしない。 こんな確かな不満があるのに、俺はあの場で再び怒りをぶつける事が出来なかった。 母さんも黙った俺を見てそれ以上何も言ってこなかった。 その後の停学中に、神楽が転校した事を千里から聞いた。 結局あの一件以降、神楽と言葉を交わす機会は無いままでの事だった。 何でだよ。 再びその疑問と不満が湧き上がる。 なんであいつが転校なんかしなくちゃいけないのか。 なんで一言もその事を俺に言ってくれなかったのか。 僕と仲良くしたら桐人君にまで迷惑をかけちゃうから。 不意に神楽が言ったその一言が脳裏を過る。 だから何も言わずに居なくなるのかよ。 俺達は友達じゃなかったのかよ。 日阪に対する苛立ちから、神楽に対する苛立ちに変わっていく。 そして結局あいつを守ってやれなかった自分への苛立ちに変わる。 「桐人君ごめんね…私がその場に居たらまだ良かったんだけど…。」 俺の停学が決まった後、千里は個人的に神楽の事を担任に話したらしい。 以前から日阪達に目を付けられていた事、もしかしたらそれが原因かもしれないと言うことを。 実際それに対して一応の事実確認はあったらしいが、当然日阪はそんなの自分から認める筈もなく、ましてその場に居なかった千里の証言はまともに取り合ってもらえなかったそうだ。 そしてその末の結果が神楽の転校だった。 あの日以来神楽は学校には来ておらず、そのまま転校したと言う話が担任の口から告げられた。 もし神楽が学校に来ていて事情を聞けていたなら事情も変わっていただろうが、とは担任も言っていたらしいが、学校にも来ていないし転校も決まっているからとこれ以上事を荒立てるべきではないだろうと言うのが学校側の判断だと言うことだった。 「なんだよそれ。」 自分は悪い事なんて全くしていない。 正しい事をした筈だ。 間違っているのはあいつらじゃないのか。 こんな結果が最初から決まっていたって言うのか。 神楽と友達になった事が、かばった事が、間違いだったとでも言うのだろうか。 そんな筈無い。 絶対にそんな訳がない! やり場のない怒りが脳内を埋め尽くす。 どうしてこうなってしまったのか。 どうしてこんな目に遭わなければならなかったのか。 どうしてどうして。 何一つ分からない自分にも苛立ちを覚える。 そしてその日以降、俺は学校に行かなくなった。 〈あの時もしあなたが忘れ物をせずに彼と出会わなければ。 彼の姿に気付いていても見て見ぬふりをしていれば。 いずれにせよ、彼は日阪らにいじめられていたかもしれない。 でもそれによってあなたがこうも苦しみ、思い悩む事も無かった。 そうやって俺には関係ないと割り切るには、あなたと神楽は同じ時間を過ごし過ぎていた。〉 「あぁ…。」 〈でもあなたが一番後悔しているのはこの後だよね。〉 「っ…。」 この一件以降引きこもった俺は、停学期間を過ぎても学校に行く気にもなれず。 ただ自分の部屋でゲームの画面と向き合っていた。 反省文だって当然書けてないし書く気もない。 その理由も自分は悪くないからと言う理由ではなく、いつからかどうでも良いからに変わっていた。 最初こそうるさかった母さんも何も言って来なくなる頃には、もう全てがどうでも良くなっていた。 今更もう戻れないし戻りたいとも思えない。 戻ったところでもう誰も信じれる気がしない。 だけど、千里だけは毎日俺を呼びに来た。 それで母さんが呼びに来ても俺は部屋を出なかったし返事もしなかったが、それでも千里は毎日俺を迎えに来てくれた。 途中から母さんが何も言わなくなった後も、変わらず毎日。 まあ母さんだって別に見捨てるつもりで何も言わなくなった訳じゃない。 見ていない所で一人で泣いていた事も知っていた。 そんな母さんの気持ちも、毎日変わらず迎えに来てくれる千里の気持ちも今になって思えば本当にありがたい物だ。 でもその時の俺にはそれが素直に喜べなかったし、その気持ちを受け入れる事も出来なかった。 そしてあの日。 事件は起こったのだ。 いつものように目が覚めてベッドから起き上がると、今日も千里が迎えに来たらしく、外から千里と受け答えする母さんの声がする。 それを聞いても俺は当然部屋を出る気にはなれず、そのまま二度寝でもしようとベッドにまた倒れる。 いつもなら母さんが申し訳なさそうに今日も出てこない事を告げて俺の事は良いからと学校に行かせるのだが、今日は違った。 「ごめんなさいおばさん、ちょっとおうちにお邪魔しても良いですか?」 「え?」 千里がそう言って家に入ってきたのだ。 そして俺の部屋の前まで来ると、ドア越しに声をかけてきた。 「桐人君、その…おはよう。 もう起きてるかな…?」 ドア越しに声をかけてくる。 でも俺はそれに対して返事を返さなかった。 「も、もし今ので起こしちゃったならごめんね。 でもどうしても桐人君と話がしたかったから。」 そう言う口調はとても弱々しかった。 「私は信じてるよ。 桐人君は悪くないって。 絶対間違ってないって。」 なんとか言葉を探して、励まそうとしているのが分かった。 でも全てがどうでも良くなっていた俺には、そのどれも響かなかった。 「だから…今日じゃなくても良いから…また一緒に学校に行こう? 一緒に皆に分かってもらえるように…」 おずおずと告げられるその言葉に俺が感じたのは、皮肉にも嬉しさじゃなく苛立ちだった。 「もう…良いんだよ。」 「っ…桐人君!私は…今でも…」 「もう俺の事はほっといてくれよ!」 なおも食い下がろうとする千里に対して、一度は抑えた苛立ちがまた蘇り、思わず怒鳴ってしまう。 「そんなの嫌…嫌だよ…。」 小さな音と同時に、千里の泣き声が聞こえてくる。 音からしてその場にしゃがみ込んで泣いているのだろう。 いつもの俺なら飛び出して慰めていただろう。 でもその時の俺の苛立ちは収まらず、それによって尚加熱する。 「俺の事はもう良いから行けよ! 迷惑なんだよ!」 そう怒鳴ると、千里は一度だけ涙声でごめんなさいと謝ってから静かに家を出ていった。 千里が居なくなってから冷静になって言い過ぎた事に気付いてドアを開けても、もうそこに千里の姿はない。 今思えばこの時にそのまま走って追いかけていれば良かったんだ。 でもそれが出来なかった。 心配してくれた幼馴染みに酷い言葉をぶつけてしまった後悔、罪悪感と自己嫌悪で押しつぶされそうになった俺は、その場にしゃがみ込んでただ自分を責め続けていた。 〈だからあなたはそんな数少ない自分を気遣ってくれる存在だった彼女を見殺しにしそうになった。〉 それから数時間後。 突然母さんが大慌てで階段を駆け上がってきて、勢いよくドアを開けた。 「なんだよ…?」 「桐人、落ち着いて聞いて。」 そう言う母さんの顔は全く人の事を言えないほど落ち着きが無く、困惑を隠せないようだった。 それに何も応えない事で先を促すと、母さんは重たい口を開いて言う。 「千里ちゃんが事故に遭って病院に運ばれたって。」 「っ…!?」 思わずベッドから勢いよく起き上がる。 それから今すぐ駆け出したい衝動に駆られるも、さっきそれが出来なかった事を思い出す。 「俺のせいだ…。」 あそこで千里にあんな言葉を言わなければ。 一人で行かせたりなんかしなければ。 いや…俺が停学になってる間も、その後も…あいつはずっと一人だったのではないか。 本当は千里だって学校に行きたくなんかなかったんじゃないか。 もしかしたらずっと我慢していたんじゃないか。 「桐人、お願いだから…。 私のことは信じなくても良い。 でもね千里ちゃんの事だけは信じてあげて。 あの子は絶対にあんたを見捨てたりなんかしないから。」 そう言う表情は沈痛な物だった。 「母さん…ごめん…俺…」 悔しかった。 結局自分の事ばかりだった。 自分が正しい。 間違っているのは周りの方だ。 そう決めつけるばかりで、それが間違いだと言われて意地になって。 そのせいで本当に自分の事を大事に思ってくれている人の気持ちまで踏みにじって。 何が正義だ…。 大事な人さえ守れない奴が何考えてるんだ。 情けなかった。 こんなのは小さい頃に自分が憧れたヒーローなんかじゃない。 そんな事をこんな状況になってやっと気付くなんて。 「俺が…馬鹿だった…。」 悔し涙が流れる。 そしてそんな俺を母さんは優しく撫でてくれた。 「行こう、千里ちゃんに会いに。 そしてちゃんと話してきなさい。」 「うん…。」 そうして、俺は母さんの車で千里が入院している病院に向かった。 病室には千里の両親が付き添っていて、俺の顔を見ると、千里の母さんが安心したような表情を見せる。 「良かった。 桐人君、来てくれたのね。」 「おばさん…おじさん…すいませんでした…。 あの…千里は…。」 「相手の方が飛び出してきた千里に早めに気付いてブレーキを踏んだから怪我で済んだ。 ぶつかって突き飛ばされた衝撃で左足の骨が折れてるみたいだ。」 それに千里の父さんが応える。 「っ…。」 どうやら千里は自分から飛び出したらしい。 「千里…ごめん…こんなつもりじゃ…」 その事実を知った途端に、再び自己嫌悪が押し寄せてくる。 「ううん、悪いのは私の方。」 俺の声が聞こえていたのか、千里が言う。 「千里!」 叫びながら病室に入ると、千里は申し訳無さそうにこちらを見ていた。 「ごめんね、桐人君…迷惑ばかりかけて…。」 「そんな…それは俺の方だよ…。 千里にずっと心配かけておいて自分の事ばっかりで…おまけにあんな事言って…。」 「違うよ…。 私だって自分の事ばっかりだった。 桐人君が一番辛かったと思うのに、一人で学校に行くのが怖かった。 学校に居る間もクラスメイトに嫌な事をされている間も。 こんな時に居てくれたらなって桐人君の存在に甘えてばかりで…。 何も出来ない自分が嫌になったの。」 「だからお前…。」 「ごめんね…迷惑ばっかりかけて。 でも私…桐人君がずっとあのまま引きこもってるのを見てるだけなんてもう嫌なの…。」 「迷惑なんかじゃない!」 「っ…!」 「俺、学校に行くよ。 今更気持ちを変えるのも、こんな事言うのも身勝手なのは分かってる。 でも千里のおかげで行こう、行かなきゃって思えたんだ。」 「うん…。」 「もう絶対一人になんかしないから。 絶対にお前だけは守るから。 だからさ…こんな事俺が言う資格なんてないかもしれないけどさ…もうこんな事しないでくれよ…。 お前まで居なくなったら俺本当駄目なんだ。」 「うん…。」 そうして俺は決意し、千里に誓った。 そしてその決意を絶対に忘れない為に、俺は千里の父親の方に向き直る。 「おじさん、だから俺の頬を思いっきり殴ってください。」 「ほう、良い覚悟だ。」 そう言っておじさんは本当に一切手加減も無く俺を殴り飛ばした。 「今度こそ、千里の事、宜しく頼んだよ。 次に泣かせたらその時はこんな物じゃ済まさないからな。」 「はひ…ふいまへんでした…。」 真面目な場面でなんとも説得力の無い返事だったが、それだけ本気で殴られたのだと思ってほしい。 実際その時の痛みは高校生になった今も忘れていない。 〈だからあなたは今過保護なくらいに彼女の事を気にかけてるんだね。〉 「うっ…。」 〈自分が死ぬかもしれないのに、彼女や仲間を助ける事だけを考えて試練を受け、時には自分の背丈よりも大きな化け物とも戦った。 ただの正義感と呼ぶにはあなたは無鉄砲過ぎる。 そのルーツの一端がこれなんだよね。〉 「そうかもしれないな。」 実際、俺はこの時の経験が無ければ今もこうしてこの場に立ってなどいなかった筈だ。 ただ普通に毎日を生き、普通の人生を送っていた。 〈やり直したいとは思わないんだね。〉 「確かに、あの時の事を思い出すとさ、今よりもっと上手く出来たんじゃないかって思う部分も沢山あるよ。 でもやっぱり俺が今こうして居られるのはこの時の経験があったからだ。 俺には今、もっと塗り替えたい過去と未来がある。」 〈その意思はもうこれからどんな過去を見せても揺るがないんだね。〉 「あぁ。」 雨は思った。 彼は雨に濡れる事を恐れていない。 それにただ雨に濡れるだけじゃない。 濡れる事を受け入れ、雨の中でも構わず走り続けるのだろう。 いつ止むのかも分からない雨を自分で止ませようと走り続けるのだろう。 彼にこんな冷たい雨は似合わない。 〈目を閉じて。 じきに雨は上がるよ。〉 彼ならきっとどんな激しい雨の中からでも茜を救ってくれるのだろう。 それが嬉しくもあり、やっぱりどこか妬ましくもある。 でも今の私には彼を信じる他に無い。 ただ傘を差して、また私は空を見上げる。 私のこの雨も、いつかは降り止むその日が来るのだろうか。
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