物質に囲まれて

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 子供のころ、我が家はそれほど豊かではなかったように記憶している。家族のために必死に働いてくれた亡父に対してこんなことを書くのは申し訳ないように思える。他家が次々にカラーテレビ、水洗便所、ガス湯沸かし器にシャワー、と変わっていくのだが、我が家は相変わらずの白黒テレビ、汲み取り式便所、灯油で沸かす木桶風呂といった感じだった。  しかし、我が家が格別だったわけではない。そんな家はいくらでも見かけた。とにかく物質的には決して豊かとはいいがたかった。がみんな明るく元気だった。子供から見た大人たちは本当におとなだった。紳士的で心にゆとりがあった。車に乗れば、お互いに道を譲りあい、歩行者にやさしかった。電車で乗り合わせたおじさんは子供を見かけてニコニコし、「飴、食べるか?」と無造作に鞄から飴をくれた。  物がないからみんなが助け合った。助け合わなければ不便だった。醤油やお米の貸し借りは当然の様に行われていた。もっと昔であれば、助け合わなければ不便どころか生き残ることが困難であったろうと想像する。絆はそれこそ命と命をつなぐ絆であったことだろう。  物に貧すれば絆が強まる。物があふれればつながりが希薄にあるのは当たり前の結果である。他人に頼らなくても何の不便もない。そして、心が空虚になってゆく。  結論がでないことをくどくどと書きならべてきた。実家からもらって帰ってきたノラボウ菜を茹でながら考えた。その昔、この菜葉のおかげで飢饉を乗り越えることが出来たそうだ。
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