【 第1話 】

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【 第1話 】

「日給……百万円……ですか」 「そう。一日だけ、九時から五時まで働くだけで百万円、っていうバイト。やる?」  初秋の夕暮れ時。だいぶ薄暗くなってきたが、大きなマンションに囲まれたこの公園では、小学校高学年と思われる子供たちがまだ数人遊んでいる。その公園のベンチに腰掛けて無聊(ぶりょう)をかこつ俺に、五十代前後と思われる女性が唐突に声を掛けてきた。身の危険など何もなく、違法性もない、日給百万円のアルバイトをしないか、というのだ。  実は、この突飛すぎる提案について、俺はそこまで驚いてはいなかった。なぜならつい先週、叔母さんから「ある話」を聞いていたからだ。  というか、有り体に言うならば、声掛けを待っていた。そのために、何をするでもなくこのベンチに座り続けていたのだ。 「何を迷ってるの? 日給百万円だよ。君くらいの年齢で、こんな大金を得られる機会なんてまずないでしょ。何を悩む必要があるっていうの。まさか、やらないつもり?」黙りこくる俺に、無表情のまま淡々と返答を急かす。 「いや、あの……その仕事って本当に怪しくないんですか?」 「もちろん。さっきも言ったでしょ。身の危険なし。違法性なし。それでいて、九時五時の仕事をするだけで百万円。嘘じゃないよ。これが真実」俺の目をまっすぐ見つめながら言う。  このおばさん、背は百五十センチちょっと、小太り、ややパーマのかかった頭髪には白いものが混じり、顔にはこれといった特徴なし。少し街を歩けば、十や二十は簡単に視界に飛び込んでくるであろう量産型のおばさんだ。裏社会の人には到底見えない。  だからといって、普通ならこんな胡散臭い話を受けるはずがない。特にこれといったスキルのない若者が、一日で百万円貰える安全な仕事など、この世に存在するはずがないのだから。叔母さんの話を聞いていなければ、歯牙にもかけなかっただろう。 「一樹(かずき)君、知ってる?」  母さんの妹である美樹(みき)叔母さんからそう問われたのは、今から一週間ほど前のことだ。 *** 「知ってるって、何をですか?」  この日、美樹叔母さんから夕飯に誘われ、俺が一人暮らしをしている家から徒歩十五分ほどの距離にある叔母さんの家を訪れていた。  去年から、大体週に一回くらいのペースで、こうして夕飯に誘ってくれる。  叔母さんたちには息子が一人いるのだが、二年前、大学卒業と同時に遠く離れた場所へ引っ越してしまい、あまり会う機会がないようだった。  そういう事情があるからか、今では俺を実の息子のように思ってくれているようだ。  俺が叔母さんの家を訪れる時、普段は旦那である叔父さんもいるのだが、この日は帰りが遅いらしく、用意されていたカレーライスを平らげた俺は、叔母さんと二人で話し込んでいた。 「やっぱり知らないよね。このへんに出没するっていう噂の、日給百万円おばさんの話なんだけどさ」 「日給百万円おばさん? いや、全然知らないです。何ですかそれ」 「気になるでしょう? 不思議な響きだもんね。日給百万円おばさんだなんて」  ニヤリと笑った叔母さんは、長い黒髪をかきあげながら、白ブドウ味のチューハイを缶のままクイっと飲んだ。叔父さんの帰りが遅くなる時は、一人で先に晩御飯を食べるということはせず、こうして飲みながら時間を潰しているらしい。仲の良い夫婦だな、といつも思う。  でも今は、そんなほんわかしたことを考えている場合ではない。 「どういうことですか? 何なんです、日給百万円おばさんって」  パワーワードにも程があるその言葉の意味を、一刻も早く知りたかった。
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