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【 第3話 】
「ああ、それね」鼻をすすりながら、目元を手で拭った。「なんか、暇そうにしてる若者に急に声を掛けてきて、日給百万円の仕事をしないか、って聞いてくるんだって」
「えっ……? なんですかそれ。めっちゃ怪しいじゃないですか」
「だよね。怪しすぎるよね。でも驚きなんだけど、私のパート先の若い男の子で一人、そのバイトをやった人がいるのよ」
「う、うそでしょっ? マジですかっ?」
「ホントよ。その子、確か一樹君と同じ二十歳だったかな? その男の子が言うには、バイトの内容は、違法性なし、命の危険なし、それでいて日給百万円貰える、って話だったらしいの。その男の子も嘘くさいとは思ったらしいけど、パチンコで結構な借金を作っちゃったみたいでね。このままだとどうせまともな人生は送れないと思ったみたいで、やけくそでやってみたんだって。そしたら、普通に百万円貰えたって」
「何ですかそれ……」
「つくづく、おかしな話だよね」間延びした声を出しながら、缶チューハイを呷った。
「それって、どんな仕事だったんですか?」
身を乗り出して質問する俺に対し、叔母さんはのほほんとしながら洋風ピクルスを口に含んだ。
「おいしー。一樹君も食べてみない? このピクルス、上手に漬けられたのよ」
「勿体つけないでくださいよ」つい、語調が荒くなってしまう。
「ごめんごめん」
微笑みながら小首を傾げ、そう言った。叔母さんは、少しぶりっ子気質がある。もう五十手前だが、こういった仕草が奏功してか、実年齢よりも若く見える。
「でもね、一樹君が期待するような話はできないかな」
「どういうことですか?」
「もちろん私も気になったから、どんなバイトだったのか聞いたんだけど、バイトの内容は絶対に言えないんだって。言ったら、一度受け取った報酬が没収されるって言ってた。だから、どんなに聞いても教えてくれなかったの」
「え? じゃあ叔母さんは、具体的なことは何も聞いてないのにその話を信じてるんですか」
「うん、信じてはいるよ。嘘をつくような子じゃないし」
大変申し訳ないが、気付けば俺は、至極残念な人間を見るような目で叔母さんのことを見つめていた。
「叔母さん。失礼ですけど、そんな与太話を信じるなんて、どうかしてますよ」
「え?」
「そんなバカなこと、あり得るわけがないじゃないですか。ただ担がれてるだけですよ。そうやって人のことをからかって、楽しんでるだけですって」
すると叔母さんは、間髪を入れず反駁してきた。
「でもその男の子、百万円をもらったって話をしてからは、やたら羽振りがよかったわ。今までまったくお金に余裕なさそうだったのに、私たちみたいなパートのおばちゃんたちに『ご祝儀だ』なんて言ってお昼ご飯を奢ってくれたり、彼自身もやたら高そうなアクセサリーを身に付け始めたり」
その話を聞いて、すぐにピンときた。母さん仕込みの注意力が備わっている俺の目は誤魔化せない。
「わかった! そうやって大金を得たフリをして、叔母さんたちを何らかの罠に嵌めようとしてるんですよ」
「罠?」
「ええ。自分も百万円貰えたから、みんなもやりませんか、みたいな話をして、怪しい話に誘い込もうとしてるのかもしれません」
「でも、その子が日給百万円のバイトをしたっていうのは、だいぶ前の話よ。半年くらい前だったかな。そんな罠を仕掛けたなら、すでに何らかの動きがあってもいいはずじゃない? でも別に、今のところ何にもないのよ。その子も、調子に乗って散財して、またお金のない生活に戻ってるみたいだし」
「半年前……」
「そう、半年前。それぐらい前のことだから、彼が日給百万円のバイトをしたっていう話も、すっかり忘れてたわ。先週一樹君から、お墓を建てるために百万円くらい必要だっていう話を聞いて、百万円といえば、っていう感じでなんとなく思い出しただけだから」
「そう……なんですか……」
「それに、もし私たちを騙すつもりなら、もっと早く動き出すんじゃない? 忘れた頃にどうこうしようとしても遅すぎるでしょ」
まさにおっしゃる通りで、ぐうの音も出なかった。
詐欺の世界では「鉄は熱いうちに打て」が鉄則だという話を聞いたことがある。インパクトのある話で感情を揺さぶり、冷静な判断力を削り、今すぐ行動しないと損をするぞ、大変なことになるぞ、と煽り、引っ掛けるものなのだ。それなのに、仕掛けから半年も放置するなど、通常ならば考えられない。何億、何十億という巨額な詐欺ならまだしも、レジ打ちのパートのおばちゃんを引っ掛けるという小規模な詐欺で数か月単位の期間を擁するなどあり得ないだろう。
だからといって、怪しい話だという印象は変わらない。普通の感覚の持ち主ならば、一日で百万円貰える真っ当なバイトなどあるわけないと考えるのが当然だ。
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