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【 第6話 】
「え? いや、なんでそんな聞き方するんですか」
「別に。ただ確認しただけ」
依然、にっぴゃくさんは無表情だ。何を考えているのかまったく読めない。
だが、俺はもう承諾の意志を示した。それに、声を掛けられた以上引き受けると決めていたのだ。ここで退くことはできない。
「わかりました。とにかく俺はやります。そう決めたんで」
「わかったよ。じゃあ、名前と住所を教えてくれるかい? 仕事の内容を文書にして送るから」
にっぴゃくさんは、持っていたバッグの中から紙とボールペンを取り出し、俺に渡してきた。ここに、名前と住所を書けということだろう。
黙って受け取り、ベンチを台にしてフルネームと住所を記し、にっぴゃくさんに渡した。
「オッケー。北村一樹君ね。じゃあ、仕事は次の日曜日。ちょうど一週間後だね。当日の朝には仕事内容が家に届くようにしておくから。朝、ちゃんとドアポストを確認するんだよ」
言い終わると同時に踵を返し、早足で公園から立ち去っていった。その姿を茫然と見送りながら、自分の行動が果たして正しかったのかどうか、しばらく公園内で思い悩む羽目になってしまった。
***
「これ、か……」
一週間後の日曜の朝、八時前。予告通り、ドアポストに封書が入っていた。A4サイズの茶封筒、いわゆるクラフト封筒というやつだ。切手がなく、宛先も差出人も、何も書かれていないのっぺらぼうな封筒だった。つまり、直接このドアポストに投函されたということだ。
封筒の中には、真っ新な大学ノートが一冊と、ボールペンが一本と、白い紙が一枚入っている。白い紙には、こう書いてあった。
「九時から五時までの間は家から一歩も出ず、このノートに、誰かに向けての手紙をできる限り長文で書くこと。手紙を書いている間は、相手のことだけを考えて集中すること。以上」
読み終えた直後、「これだけ?」という素っ頓狂な声が出てしまった。
自宅で気ままに手紙を書くだけで日給百万円。そんな浮世離れした仕事などあるわけがない。てっきりこの封書の中には、仕事場所へのルートだったり、必要な道具を揃えるための方法だったりがびっちり記された書類が入っているものだと思っていた。まさか、こんなペライチの紙と、なんの変哲もないノートとボールペンが入っているだけとは予想だにしなかった。
届いた封書を、俺の部屋にある万年床の上に放り投げてから、襖を開けて二間にまたがるように立ち、部屋中を見回した。
我が家は六畳の和室が二間あるアパートで、玄関の右横にはキッチンがあり、玄関から見て左側が俺の部屋、右側が母さんの部屋となっている。二間は襖で仕切られており、俺が母さんの部屋に足を踏み入れるのは一日に一回。お骨周りの世話をしてから手を合わせる、その時だけだ。
俺がまず疑ったのは、監視カメラの存在。不在中に誰かがこっそりカメラを仕掛けていったのではないだろうか。そして、疑心暗鬼のまま不気味なバイトをこなす俺の姿をこっそり覗き見て、楽しもうとしているのではないか。そう考えた。
でも、誰がそんなことをするのだろう。暇を持て余した頭のおかしい大富豪か。金で買える物にはとうに飽き、人の心を弄ぶことに大金を投じ始めたのだろうか。
天井、クーラー、テレビ台、母さんの部屋にあるコーヒーテーブルの周りなどを入念に調べたが、カメラらしきものは一切見当たらない。
もしやと思い、送られてきたボールペンを分解して調べてみたが、至って普通のボールペンだった。
いや、それでもわからない。俺の知らないようなハイテク技術を駆使して、素人が確認した程度ではバレない特殊な超小型カメラが内蔵されているのかもしれない。
一体どういうことなのだ。何が目的で、誰かに手紙を書くだけで百万円もの報酬を渡そうというのだ。
俺の部屋にある壁掛け時計を見る。八時三十分だった。三十分後には仕事を始めなければならない。
「あ、もしかして……」
また一つ、疑念が浮かんだ。もしやこれは、国家機関による精神実験か何かかもしれない。理解不能な状況に陥った若者の行動を観察する、とか。さすがに深読みしすぎだろうか。
こんな当て推量を叔母さんに言えば、「想像力が豊かだねぇ」と、また笑われるだろう。もちろん、日給百万円のバイトをすることについて、叔母さんには何も言っていない。あれだけ否定しておきながら、のうのうとバイトを引き受けたなどと言えるわけがない。
その後も自分の世界に入り込み、このバイトの真相についてああだこうだと思索を重ねるも、結局答えは出なかった。
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