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【 第7話 】
ハッと我に返り、慌てて壁掛け時計を見ると、針は八時五十七分を指し示していた。
ふぅ、と大きく息を吐く。
「まあ、いいか。これ以上考えてもしょうがない。おとなしく、手紙を書くか」
そう独りごちた後、送られてきた大学ノートとボールペンを手にして、母さんの部屋へ移動した。生前の母さんが使っていたコーヒーテーブルの上に、お骨が入った箱が置かれているだけのこの部屋。和室には似合わない洋風なテーブルだが、母さんは気に入っていた。
手紙を書く相手は、もちろん決まっている。天国にいる母さんだ。それ以外にあり得ない。
襖を閉め、カーテンも閉め、コーヒーテーブルを前に正座する。目の前には、母さんのお骨が入った箱がある。六寸――高さが約二十三センチ、幅と奥行きが二十センチ強――の桐箱だ。
桐箱の左には、水の入った背の低い薄張りの透明グラスが置かれている。母さんが生前愛用していたもので、グラスの水を毎朝替えるのが日課となっている。
その桐箱をじっと見つめながら、腕組みをして目を瞑り、脳から引っ張ってきた母さんの姿を瞼の裏に映す。母さんへの手紙を書くために、とことんまで過去の記憶にダイブしたかった。
***
細身で、身長は高すぎず低すぎず。下ろせば肩の下あたりまである黒髪を一つに結び、化粧っけがなく、年相応の見た目なれど、息子の俺が言うのもおかしいが、そこはかとない美しさを漂わせる女性だった。
俺が三歳の時に離婚して以降、女手一つで育ててくれた母さん。別れた理由については、興味本位で何度か聞いてみたものの教えてはもらえなかった。父さんとの思い出は特になかったし、会いたいとも思わなかったので、俺としてもしつこく聞いたりはしなかった。
ただ、中学生くらいの時に一度、母さんから「父さんは一樹のことを大事に思ってたよ」と聞いた時は、正直嬉しく思ったことを今でも覚えている。
離婚後の母さんは、俺と過ごす時間を第一に考えてくれていたようで、時給のいい夜勤は選ばず、あまり割がよいとは言えない昼のスーパーのレジ打ちの仕事をしていた。今も叔母さんが働いているスーパーだ。姉妹、昔から仲が良かったようで、当時から一緒に働いていた。
線の細い見た目とは裏腹に、とにかく快活で、よく笑う人だった。弱音を吐いたり、覇気なく沈んでいたりする姿を一切目にしたことがない。おかげで、母さんと二人で過ごした幼少期はこの上なく楽しいものだった。
しかし小学校の高学年を迎えたあたりから、他の家の暮らしぶりとの違いを自然と目の当たりにするようになり、我が家が経済的に劣っていることを否が応でも思い知らされる。着ている服、自転車の有無、見聞きする食生活の違い、夏休みの過ごし方など。
貧乏は辛い。我慢を強いられる場面が多いし、周囲からバカにされることもある。俺は、母さんとの二人の暮らしを無邪気に楽しめる余裕を徐々に失っていった。
離婚した父さんが、颯爽と現れて経済的な援助をしてはくれないか。小学四年生になった頃からは、そんなことばかり考えていたような気がする。
どんな理由で別れたのかは知らないが、離婚しようとも俺が父さんの子供であることは間違いない。向こうだってそう思ってくれているはず。親同士の都合がどうであれ、息子は息子だ、と。そんな淡い期待が胸に去来するも、望む未来が訪れることはなかった。そんな現実が、より一層俺の気持ちを暗くした。
俺が塞ぎこんでいる雰囲気を察知したのか、その頃から母さんは、積極的にイタズラを仕掛けてくるようになった。少しでも俺の気分を紛らわせようとしていたのだろう。
王道的なイタズラは、一通り喰らってきたと思う。
後ろから肩をトントンされ、振り返ると母さんの人差し指が俺のほっぺたに刺さったり。
自分の両手の人差し指を俺の口の中に入れて横に広げてから、「学級文庫って言ってみ」と指示され、「学級ウンコ」という逃れられない無様な言葉を言わされたり。
てぶくろ、を逆から言ってみてと言われ、ろくぶて、と言わされ六回叩かれたり――もちろん軽くだが――。
こういった細かいイタズラについては、枚挙に暇がない。
日々、矢継ぎ早に繰り出される母さんのイタズラは、貧乏を卑下する余裕も失うくらいに俺を天手古舞にさせた。多分、金がない中でも何とかして俺を楽しませようと必死だったのだと思う。
実際、楽しかった。
そしてイタズラが成功すると、母さんは楽しそうに笑い、俺も釣られて笑った。
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