【 第8話 】

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【 第8話 】

 たまに、やや手の込んだイタズラを仕掛けてくることもあった。  小学校五年生の遠足の時の話だ。 「一樹、明日の遠足のお弁当、どんなのがいい? 何か食べたいものはある?」  遠足前日の朝、何気なくそう問われた。 「そうだなぁ。とりあえず豪華なもの! よろしくね!」  今思うと、俺のこの軽口に少々イラっとしたのもあるのだろう。母さんは、報復を兼ねたイタズラを敢行した。  翌朝、母さんはニヤニヤしながら弁当を渡してきた。 「豪華な物、入れといたよ」  母さんの言葉を真に受けた俺は、昼食時、意気揚々と弁当箱を開けた。そこには、ミートボールや卵焼きといった普通のおかずと、海苔が散らされた白飯があるだけだった。これのどこが豪華なんだろう、と疑問に思っていると、横にいた友達が、あっ、と声を上げた。 「一樹の弁当、すげぇなぁ。文字が書いてあるじゃん」  不思議に思いつつ再び弁当へ目をやると、そこには確かに、細く切った海苔を使って、カタカナで「ゴウカナモノ」と書いてあった。  やられた。まさかこんな切り口で攻めてくるとは。  もちろん、帰宅後にすぐにツッコミを入れた。しかし母さんは、 「あら、ご要望には沿ったつもりよ?」  悪びれもせずに笑顔で言う。いつも通りその笑顔に釣られ、俺もつい楽しい気分になった。また騙された、という気持ち以上に、わざわざかけてくれた手間暇を嬉しく思った。朝の忙しい時に、海苔を細切りにしてメッセージを作るのは大変だったと思う。  中学校一年生の時には、こんなこともあった。 「ただいま。一樹、今日は高級な牛肉を買ってきたよ」  牛肉が入っているであろうビニール袋を高く掲げた母さんが、猟師が大物を仕留めたような顔で帰ってきた。 「本当っ? 牛肉? 今日は牛肉なのっ?」  興奮が抑えられない。貧乏な我が家で、牛肉を食べられることなどほとんどないのだから。我が家で「肉」と言えば、鶏のムネ肉か豚バラ肉のことを指す。  でも、俺だってバカじゃない。しばらくしてから、すぐに冷静になった。  母さんのことだから、牛肉に似た何らかの肉を仕入れてきたのではないか。その肉を俺が食べ、「うん、やっぱり牛肉は美味しいね!」と言えば、それ見たことか、肉の味などわからないだろう、とからかうのではないか。そう警戒していた。  しかし、この日食べた肉はめちゃくちゃ美味しく、しかも紛れもなく牛肉だった。とはいえ、やはり一癖あったのだが。  実はこの数日前、テレビ番組でタレントが牛タン料理を食しているシーンを見ていた俺は、 「うげ! 牛のベロなんて食べるの? 気持ち悪っ!」  そんなことを口走った。  でも牛タンって美味しいのよ、とフォローする母さん。しかし俺は、そんな牛タンへのフォローなど意に介することなく、 「いや、絶対に食べたくないね。汚いよ、牛のベロなんて」  と強弁した。  そう、この日俺が食べたのは、まさに牛タンだったのだ。値の張る牛タンを、イタズラのためにわざわざ買ってきたのだ。 「嘘でしょ、これが牛タン……? 牛のベロっ?」 「そうよ」 「うわぁ! 食べちゃったよ」 「でも、味はどう?」 「……めちゃくちゃ美味しい」 「でしょー? あ、でもいらないんだっけ。じゃあ、母さんが食べちゃおうっと」 「駄目だよ! 俺が食べるよ!」  取られまいと、慌ててがっついた。そんな俺を見ながら、母さんはケラケラと笑っていた。  この出来事がきっかけで、先入観で物事を判断するのはよくないのだな、と身を持って学べたような気がする。  高校に入ってからは、もう親があまり構うような年齢でもないし、俺が貧乏を卑下するようなこともなくなったからか、さすがにイタズラされることもなくなった。しかし一度だけ、思い出したかのように仕掛けてきた。  相変わらず貧乏暮らしが続く中、それでも母さんは、高校入学と同時にスマホを持たせてくれた。かなり無理したのだと思う。まあまあ都会の高校だったので、スマホを持っていないと何かと不便だろうと考えてくれたようだ。  そんなスマホだが、使い始めてしばらくした頃、勝手に待ち受け画面のロックナンバーを変えられていたことがあった。学校で使おうとした時、何度ロックを解除しようとしても失敗してしまうのだ。ロックの解除ができないスマホは、スマホとしての機能をほぼ失い、ただのでかい懐中時計と化すことを知った。犯人は、すぐにわかった。  夜、パートから帰ってきた母さんに対し、冗談交じりに苦情をぶつける。 「頼むよ母さん。ロックナンバーが変わってて、今日一日使えなかったじゃんよ」 「ロックナンバーに誕生日を使ってるアンタが悪いのよ。そんなの、簡単に破られちゃうじゃない。今日の朝、まさかと思って試してみたら、あっさり解除されてびっくりしたわよ」楽しそうにケラケラと笑っている。「とにかく、もっと警戒しなさい。ボーっと生きてちゃ駄目よ。お金がなくても、せめて最低限の知恵くらいは持たないとね」  あの時の母さんの、してやったり、という顔が忘れられない。  思えば、母さんのイタズラのほとんどが、愛のあるイタズラ、もしくは意味のあるイタズラだった。  小学生の頃は、貧乏を気に病み暗い気持ちにならないようにするため。  中学生の頃は、俺に何かを学ばせるため。  高校以降は、何らかの注意喚起のため。  母さん独自のやり方で、俺を育て、人間的に成長させてくれた。  そんな息子が、今こうして日給百万円という怪しさ極まりないバイトをしている姿を、母さんはどう思っているのだろう。もしこの場にいたとしたら、情けないと叱るだろうか。それとも、時には挑戦も必要だと褒めてくれるだろうか。
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