大切な一日の終わりに

1/1
前へ
/1ページ
次へ
放課後のチャイムが響き渡る夕刻の中。 私は自宅まで早足で歩く。ずんずん坂道を下っていく。 脳裏にチラつく肌色の頭頂部。 『もう、君はいい! 今日は帰りたまえ』 あんの、ハゲ教頭! 自分が都合悪くなると、逆ギレするのやめてもらえません? 「あー! イライラするっ!!」 早く帰って、アレやらなきゃ!! ガチャリ、 玄関の扉を開くと、私はソファーへ一直線に向かい、鞄をそこら辺に投げて、その柔らかな布地に身を沈める。そして、早速スマホを取り出すと、最近人気の「格ゲー」を開いてプレイする。 「とやっ! あちょっ! やっ!」 ……。 いつもはこれでストレス解消できるのに。 今日は相当溜まっているのか、なかなかスッキリしない! 「そうだ! こんな時はあそこだ!」 私が向かったのは、バッティングセンター。近くに女の人が行きやすい雰囲気の、オシャレなバッティングセンターがある。私はストレス発散する為によく来ている。教師という職業は、子供相手なのでストレスが溜まりやすいのだ。 だから、今日も思いっきり飛ばしてストレス発散だ!! メダルを買い、軍手をはめ、メダルを入れて、ベースの横に立ちバットを構えた。 カッキーン! 「うりゃー!」 カッキーン! 「ハゲ教頭、バカ!」 カッキーン! 「逆ギレすんな! 髪、抜けるぞー!」 カッキーン! 「今日から私は生まれ変わるんだー!」 あー! スッキリした!! 10球が終わった頃、またやろうか悩んでいると、何やらどこかからも叫び声が聞こえてくる。 カッキーン! 「生きるってなんだー!」 カッキーン! 「死ぬってなんだー!」 カッキーン! 「僕って何だー!!」 つい気になって、その人のネットの後ろまで行き、その見事なスイングと、見事な一人叫びに夢中になってしまっていた。 その人が打ち終わって出てくると、バチッと目線が合う。 その人は40代後半ぐらいのサラリーマンだった。白いカッターシャツの一番上を外し、ネクタイははめていない。上着とネクタイは近くのベンチに、無造作に置かれている。 その人は額から汗を流しながら、バツが悪そうな顔をして、 「見られちゃいましたか」 とはにかんだ。 この人も私と同じように、日頃のストレスを解消しに来ていると思ったら、なんか共感が持てたのだった。 「ごめんなさい……見てしまって。でも、私の叫び声も聞こえてましたよね?」 「はい、面白かったです」 やっぱり、聞こえてたか!! 私は急に顔に熱があつまり、恥ずかしくなる。 「あ、でも、バッティングセンターってストレス発散するには、持ってこいの場所ですよね?」 「あ、は、はい! だから、何回も来ちゃいます」 「僕も本当に何回も通っていたのですが、もう、今日で最後なんです……」 そのサラリーマンは少し悲しげな目をする。 「えっ? どういう事ですか?」 私たちは近くのベンチに座って、少し話をする事にした。今宵は月明かりがとても綺麗だ。 隣のサラリーマンは、その三日月を見つめながら、というかもっと遠くを見ているような目をして、喋り出した。 「僕、今日で死ぬんです」 「ええっ?!」 「今日が余命宣告を受けた最後の日で。でも、会社にも、別れた嫁にも、誰にも言わなかった」 「余命宣告?」 「僕、健康診断で癌が分かって、もうその時には手遅れで、余命半年と言われて、会社には嘘つきました。普通ならやめて、自分のために時間を使おうとすると思うけど、特にしたいこともなくて、結局一番好きな仕事をして生涯を終えようと思ったんです」 「あ、だから、さっき生きるとか死ぬとか」 「はい。でも、死ぬことが分かったら世界が変わりました。今までの後悔が打ち寄せてきたんです。どうして、仕事ばっかで家族を大切にできなかったんだろって。そんな後悔をしながら、半年間生きてきました。もうやり直せないなら、せめて息子に会いたかった」 「結婚して、息子さんもいたんですね」 「はい」と頷いたサラリーマンの目は潤んだまま、また月夜に向けられた。 「もう、別れてから20年も経つのですが、その時、息子は3歳で。すごく可愛くって、よくバッティングセンターに来ていたんです。小さいのに野球に興味があって、僕と一緒にスイングの練習なんかして。だから、会いには行けないけど、バッティングセンターに来れば、また息子に会えるんじゃないかって、一日の終わりに色々なバッティングセンターを巡りました。でも、今日の今日まで会えなかった……」 その目から、一筋に流れ落ちる雫がキラキラした。私は胸がギュッと締めつけられる。 このサラリーマンは、その息子さんに会いたいが為に半年もの間、色々なバッティングセンターを巡り歩いていたんだ。でも、最後の今日という日にも会えなかった。 「別れてから一回も会ってないんですか?」 「はい。別れた嫁は相当頑固もので、どうしても会わせたくないって」 もう、今日で最後なら会わせてあげたい。そんな事を思いながら、三日月を眺める。 そんな時、若い男の二人組がバッティングセンターにやって来る。 「今日はお前より打ってやるぜ」 「この前は調子が悪かっただけだ」 野球帽を被った男がバットを持って、スイングをする姿を少し遠くから眺める。 カッキーン! なかなかの打ちっぷり。でも、独特の構え方だな。そう思って見ていると、隣のサラリーマンがバッと立ち上がる。 「まさか……駿太?」 サラリーマンは肩を振るわせながら、その男のスイングする姿を見つめる。頬は涙まみれになっていた。 「えっ? あの人、息子さんですか?」 「あの独特の構え方は息子に違いない。横顔もあの頃と変わらない」 「会えてよかったじゃないですか!!」 「本当に、良かった……」 「さぁ、会いに行きましょうよ?」 「あ、いや、」 「ほら!」 サラリーマンは気まずいのか、恥ずかしいのか、またベンチに腰を掛ける。 「最後に会えて本当に良かった。君のおかげかもしれない。ありがとう……」 「え、私は何にも……」 「君に会えた事で、息子にも会えたのかもしれない」 サラリーマンは苦しそうな顔をしながら、私を見つめて話を続ける。 「人生とは本当に短いものだ。だから、毎日後悔のないように生きるんだ。やりたい事があればすればいい。好きな事があったら、とことんやればいい。自分のやりたいままに生きた方がいい。僕はこの半年間、毎日息子に会いたいがためにバッティングセンターに通った。それが私のしたかった事だからだ。したい事をしてきて良かった。だから、最後に会えたのかもしれない。一日の最後にしたい事をして、生きてみるのも、悪く……ない、な……」 バタン! 「大丈夫ですか?!」 その場に倒れたサラリーマンの口から、赤い赤い血液がこぼれ出す。 彼の異変に気づいた野球帽の息子が、こっちに走ってきてサラリーマンの体を起こす。 「大丈夫ですか?! 早く、救急車を!!」 息子の手とサラリーマンの手が、何十年かぶりにギュッと繋がれる。 サラリーマンの目からは透明な涙。 それが月明かりに瞬いた。 私の目から涙が溢れる。 忘れられない元カレに電話でもしようかな、なんて思いながら、救急車を呼んだ。 end
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加