26人が本棚に入れています
本棚に追加
第一章
五年前、僕は彼女を殺した。
紗苗さんはとても優しい人だった。
いつも柔らかく微笑んでいて、あたたかい声で僕を呼ぶ。「こう君」って呼んでくれる声が好きだったからわざと聞こえないふりをしたこともあった。
一人で歩いている時に綺麗な花を見つけたら案内してくれた。僕は花なんて本当は興味ない。
だけど綺麗だと言って、嬉しそうに笑う紗苗さんが綺麗だったから、並んで花を眺めた。
ひだまりのような人だった。
僕よりも一つだけ年上の彼女。
僕が大学を卒業したら当たり前のように結婚するんだと思っていた。
結婚して、一緒に年を重ねて、十年後も二十年後も二人で一緒に過ごすんだと思っていた。
それ以外の未来なんてあの時の僕にはなかった。
僕はそんな紗苗さんを殺した。
だけど、罰も受けずに彼女のいない世界で息をしている。
誰も僕を責めない。誰もが僕を被害者だと言う。
「弘介は悪くないのよ。弘介が殺したんじゃないの」母は何回も僕にそう言った。
それでも、僕は知っている。自分の罪の大きさも重さも、自分が一番よく分かっている。
あの日、彼女を殺したのは確かに僕だったのだ。
最初のコメントを投稿しよう!