あの日のこと

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「ようやく、見つけた」 何事かと驚いた私は、耳元で聞こえた声と荒い息に安堵と焦りを感じた。 どうにか腕から出ようと頑張ってみるが、その腕はびくともせず、私を離す気はないようだった。 「……ひろ君、ずっと探していてくれたの?」 段々と整ってくる息が聞こえる。ひろ君が頷く気配がした。 「頼むから電話くらい出てくれ」 静かな声に心がさあっと澄んでいくのが分かる。 「……うん、ごめん」 素直に謝るとひろ君はようやく私を解放した。 ひろ君の顔が見える。だけど私はその目が見られなくて目をそらした。 申し訳なくて恥ずかしくて、なんともいえない気持ちが胸のあたりでもやもやしている。 「帰ろう」 ひろ君は私の手を取って歩き出す。 斜め後ろからひろ君の顔を眺めると、少し疲れているように見えた。 そりゃそうだ。あんな話に付き合わされて、挙句に私を探してあちこちしたんだから。 「後悔してる?」 何を、とは聞かなかった。聞かなくても分かった。 考える前に頷いていた。 「ひろ君の前であんなこと言いたくなかった」 そう言うとひろ君は笑った。 何が可笑しかったのか分からない。私はそれまで握られていただけの手で、ひろ君の手を握り返す。 「麗奈は俺の前じゃなかったとしても後悔するよ。優しいからね」 それには素直に頷けなかった。 私はひろ君が思っているほど綺麗じゃない。 「さっきの朝賀さんに言ったこと」 「え?」 「あれ、俺には麗奈が自分に言っているように聞こえたんだけど」 「自分に言っているように……?」 ひろ君を見るが、その表情は私からは見えない。 言っている意味が分からない。私は弘介さんに言ったのに。 私が何も言わないと、ひろ君は振り返って私の顔を見た。そして言う。 「分からないか」 その表情を見て確信する。 きっとひろ君は私以上に私のことを知っている。 私が知らない私を知っている。 「……ひろ君」 「うん?」 この言葉を言うのには勇気が必要だった。 喉元で止まった言葉をなんとか吐き出す。 「ずっと一緒にいてくれる?」 驚いたように私を見たひろ君は、少しして頷いた。 「うん、麗奈がそう望むならね」 ほっと胸をなでおろし、家に向かって歩く。 私とひろ君の家。二人だけのあの家に早く帰りたかった。 「帰ったら聞いてくれる?」 「うん」 それだけでひろ君は頷いてくれる。 ひろ君に知っていて欲しかった。 五年前のこと。私が何をしたのか、全部聞いて欲しかった。
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