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「こう君、この本すごくいいの。私もう何回も読んじゃった。こう君にも読んでほしいな。あのね、」
お母さん、早くしてよー。
テンションが上がってふわふわしている紗苗さんの声は、どこかから聞こえた男の子の声で途切れた。
はいはい、ちょっと待ってね。
お母さんらしき人の声も聞こえた。頭が覚醒してきた。
多分、隣の部屋の親子だ。普段はあまり会うこともないけど、会ったときは立ち話をする程度には関係は良好だと思う。
少しすると、ぱたぱたと軽い足音が僕の部屋の前を駆け抜け、それと一緒に声も遠のいていった。
静かになった部屋でため息をついて、再び目を閉じる。
今日の夢は、紗苗さんのお気に入りの本を勧められた時の夢。
あれはいつだったのか、どこだったのかもう思い出せない。そういうことがあったなとぼんやり覚えているだけ。
紗苗さんと最後に話した日から五年が経っている。
記憶は風化し、よく思い出せないことが多い。
だから、毎日のように見る紗苗さんの夢を何回も何回も振り返る。
夢で見た紗苗さんを忘れないように胸に刻み付ける。この五年間の習慣だ。
今の夢、紗苗さんはこの後なんて言ったのだろう。
本の面白かったところ? 作者の話? 最初の頃は思い出せていた夢の続きが今では想像でしか描けない。
それがすごく悔しくて、悲しい。
紗苗さんの死から一年ほどが経って、それに気が付いた時は涙が止まらなかった。
紗苗さん葬式以来、初めて泣いたのがあの時だった。
だけど、今となっては思い出せないのは当たり前で、夢のその先が分からないことには慣れた。
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