保護監督 ≠ 愛

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保護監督 ≠ 愛

特定の保護監督者による 保護監督の下で育てられた人間に 真の自由が理解できるのかという問題 保護監督者の影響をまったく受けずに 成長することはできない 戦後日本はU.S.A.の保護監督下で 様々な価値観を強制されてきた (としても) 自由とか民主主義とか平和とか それは あたかも強制ではなく 我々日本人が自由に選択し 進めてきたかのごとく 教科書には書かれているが 明るく単純にそのまま信じている 日本人は いない と 思いたい 子どもが乳幼児のうちは 親の権力が強大である 親という保護監督者の価値観は 子にとって 神よりも 絶対的な意味を持つ その凄まじさ 脅威は ロシアのウクライナ侵攻と 非常に似通った不条理に満ちている 親は強引に自分の狭い価値観の剣で 迷いなく子を裁き 子を服従させる こうした子育ては教育的配慮に欠く 親の保護監督能力が低い場合には 特にこうした精神的心理的暴力が 躾 という隠れ蓑の下で横行する どのような場合にせよ 保護監督する立場にあるものは 自らの狭さ弱さ無知あるいは歪みを 正確に知る努力を怠るべきではなく 同時にまた保護監督される側は 世界の真実を学ぶ意欲と 己の限界を知る謙虚さを どこかで身につけねばならぬ 日本の義務教育が 世界に対して  公平に開かれた価値観の醸成を行えずにいる のは やむを得ない 地理的にも 歴史的にも グローバルな視点から 現状を 冷静に判断できる人間を育成するのは 他でもない 自分自身しかいないのだ いつの時代に どんな保護監督下で 教育を受けた人間であっても 常にそれは地理的歴史的な檻に囚われた 限定的で特異な価値観に支配されている 環境はあくまでも相対的なものである 自分はあくまでも絶対的なものである 目まぐるしく変動する周囲の環境に 飲み込まれ 流され 浮き沈みする状態を 『社会に適合している』と  勘違いさせようとしている 深い闇 相対という闇に 適合したところで 真の幸福感は得られない 唯一決して (おのれ)を裏切らないのは 鍛え抜かれた 己しかいない (保護監督する力は 愛とは無関係である) 言論の自由を武器に戦う戦士たちよ 全てを疑い 全てを見極める 気構えを 必死に持ち続ける 潔癖な哲人を目指せ 己の魂の厳格さから 目を背けるな
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