第一話  架空のi(アイ)

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 僕は彼女の内奥の柔らかさが好きだった。でもそれ以外に彼女を「本当に好き」だと思う部分は見つからなかった。そう思ったとき僕は、無理数のことを思いだした。例えば、3.1415と続く円周率、πのことを。今も「近似数」としてしか表すことができない数。  僕の好意もそのようなものかもしれないな、と思った。「限りなく近く」はあるけれど、彼女の求める「好意」とは永遠に一致しないのだ。それはカスミだけではなく、この世で接する異性すべてに対する感想だった。僕は「好意らしきもの」を差しだすことはあるけれど、それは真実の愛じゃない。仮に「真実の愛」なんてものがあるのなら、の話だけれど。  背理法を使って、愛が存在することを証明できたら面白いかもな、なんてそのとき考えた。まず、この世界に「愛はない」と仮定する。その定義をxにして、「愛は確かに存在する」と相反する証明をするのだ。でも、そんなことをするのは、きっとナンセンスなのだろう。感情はコンピューターで解析できるものじゃない。「愛らしきもの」はつくれても、「真実の愛」が存在するか、なんて証明はできやしない。 個人の魂に刻まれているはずの、真実の愛、x。僕はばかばかしくも、そんなことを考える。そして――僕のなかで、そのxは虚数だった。想像上にしか存在しない、とらえられないものなのだと。存在しないことを「存在しない」と証明するのも難しいものだ。世のなかの人は、きっと「真実の愛」が存在すると思うのだろう。それは美しい願望だ。イメージのなかで成りたっている、虚数の概念と同じように。
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