第3話 乾杯しよう

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第3話 乾杯しよう

 そして週末、レリアは『降臨と誕生』の前に行く。が、足取りは重かった。何故かロベナーも着いて行くと言って聞かなかったからだ。 「ユーバシャール家の坊ちゃん……それもミハエル騎士団の隊長が相手なのだからな!失礼があってはいかん!」  二人っきりでデート気分を味わいたかったというのに。  勿論、浮気する気などさらさらないし、アクセルにしてもそんなつもりはないだろう。ロベナーも浮気など心配していないはずだ。彼はただ、世間知らずなレリアが何か無礼を働くのではないかと、不安になっているだけなのだから。  アクセルを待たせてはいけないと、約束の時間より早く着いたにも関わらず、彼は既に紺碧の絵の前に立っていた。高そうな私服を、スマートに着こなして。 「アクセル様! お待たせして申し訳ありません!」  そう言ったのはロベナーで、アクセルは驚いたように彼を見た。 「貴公は、クララック卿か?」 「はい! 本日は私めも同席させて頂きたく……」  チラリとアクセルがレリアに視線をくれる。レリアはロベナーに気付かれぬ様に首をぷるぷると横に振りながら、右手をパタパタと上下に動かした。 「折角だがクララック卿。俺はレリアと二人で食事がしたい。構わないだろうか」 「へ!? は、はい、勿論ですとも!」  アクセルはロベナーの申し出を、バッサリと切ってくれた。拍手喝采を送りたい気分である。爽快感。アクセルの物怖じしない、こういう所が凄いと思う。 「ではレリア、くれぐれもアクセル様に無礼のないようにな!」 「はい、分かっております」  心の中でガッツポーズをしながらロベナーを見送る。ちょっと申し訳なく思ったが、たまに若い男の子と外食するくらい、許されるだろう。 「レリア……さん、今ので良かったか?」  アクセルが言いにくそうにこちらを見ていて、レリアは笑った。 「勿論です。それと、さっきの様にレリアと呼んで下さって構いませんよ」 「そうか。ではレリア、行こう」  アクセルの後に着いて行くと、美術館から外に出た。今日はアクセルの馴染みの店に行くのだと、サウス地区に入る。 「しかし、お父上には申し訳無かったな。後で謝罪に行こう」 「……え?」  レリアの両親は、既に死亡している。アクセルがレリアの父親を知っているはずはない。  まさか、ロベナーの事を言ってる……?  ロベナーは、レリアより十三歳も年が上だ。四十六歳である彼を、二十歳そこそこに見えるレリアの父親だと思われても仕方ない。  いつもなら、『夫なんです』と伝えるレリアだったが、この時は正す事はしなかった。 「あの、父はいつもああなので、お気になさらず!」  しまった、つい言ってしまったと思ったが、今更訂正は出来ない。これで押し通すより仕方ないだろう。 「そうか? ところで、失礼だがレリアはいくつだ?」 「えっと、二十……さ、いえ、四です」  九歳もサバを読んでしまった。しかし本当の年齢を言えば、親子でない事がバレてしまう。重ねる嘘に、罪悪感が纏った。 「二十四歳か。二つ年下だな」  アクセルは二十六歳らしい。もっと若いのかと思っていたが、彼も童顔の様だ。 「着いた。ここだ」  やはりと言うべきか、立派な構えのお店だった。クララック家では、子供の進級祝いだとか、結婚記念日だとか、そういう時にしか入らない様な店。そんな店を馴染みだと言い切るのだから、アクセルとの格の違いを思い知らされてしまう。  中に入ると何も注文していないのに、次々と料理が運ばれて来た。前もって注文していたのだろう。  目の前のテーブルは沢山の料理で満たされた。最後にワインが運ばれて、ゆっくりとグラスに注がれる。そしてアクセルはグラスを上げた。 「乾杯しよう」 「はい。何にですか?」  わざわざ聞いたのは『あなたに出会えた喜びに』と言うような言葉を聞きたかったからだ。しかしアクセルは少し考え、困ったように口角を下げていた。 「ロレンツォなら気の利いた言葉も言えるのだろうが、俺は思い浮かばない」  ロレンツォというのは、アクセルと同じミハエル騎士団の隊長だ。こちらも美形だが、硬派なアクセルとは違って女好きで、レリアも幾度か声を掛けられた事がある。  レリアはグラスを持ったまま難しい顔をして悩むアクセルに、優しく微笑んで見せた。 「何でも宜しいんですよ」 「では、レリアの画家デビューを祝って」  願った様な言葉は聞けなかったが、それでも嬉しい内容だ。グラスを上げるとリンと重なる音がして、レリアはワインを口に含んだ。 「まぁ……! こんなに円熟したワインを飲むのは初めて!」 「確かにこれほど感覚的で甘美な物はそうないな」  食事が始まると、アクセルは美しい所作で食べ進めて行く。ロベナーとはえらい違いだ。夫は元々貴族ではなく、クララックに婿入りしたため、どこか庶民的なところがある。それが悪い訳では無いが、完璧なお坊ちゃんと比べると、つい粗を思い出してしまうのも仕方ない。 「今はどのような作品を手掛けているんだ?」 「いくつか描き進めているものはあるんですが、何だか筆が乗らなくて。落書き程度にスケッチブックに描いて遊んでる程度です」 「ほう。それを見てみたいな」 「え!?」  スケッチブックには、アクセルの絵を描いてしまった。見られては恥ずかしすぎる。 「駄目か?」 「いえ、だ、駄目って訳ではないんですが……実は、アクセル様の絵を描いてしまって」 「俺の?」 「はい、すみません。勝手に……」 「いや、それは是非見てみたい」  余計に興味を惹いてしまった様だ。しかし、これは次回の約束を取り付ける絶好の機会である。 「では、今度はスケッチブックをお持ちします」 「ああ、楽しみだ」  アクセルは、次回会うことが当然のように言ってくれた。それがレリアの心を踊らせる。  ワインが無くなると、アクセルは別のワインを頼んでくれた。それもまた美味しくて、次々と口に運んでしまう。こんなに飲むのは初めてだ。素敵な人との食事は、お酒も進むものなのだなと幸せに浸る。 「レリア、少し飲み過ぎだ。もうやめておいた方が良い」 「らいじょうぶですよ。わらし、よってましぇんよ?」  あら、これは酔っちゃってるわ。  上手く舌が回らなかったが、頭は割としっかりしている。だから大丈夫だろうと思っていた。  グラスに残ったワインが勿体無くて飲み干す。ふわふわと体が浮くように感じて、心地いい。 「ごちそうさまでしら。とてもほいしかったですわ」 「家まで送って行こう。立てるか?」 「たてますわよ……あら?」  立とうとしても何故か力が入らない。手をテーブルに付けて無理矢理体を引き起こそうとする。  その瞬間、グラリと体勢が崩れた。 「危ない!」  アクセルが素早くレリアの脇に手を入れて支えてくれた。フゼア系の香水が、ふんわりと鼻を掠める。大人の男の人の香りだ。 「すみましぇん……ちょっろ、よっちゃったみらいです」 「見れば分か……る……っ」  どうしたのだろうと、しがみついたままアクセルを見上げる。すると彼は胸を押し付けられたためか、カァァっと音が出そうな勢いで赤面しているではないか。  あら、可愛いらしい。  わざとでは無かったが、悪戯心が舞い降りる。 「このまま、うでをかしていたらいても、よろしいれすか?」 「あ、ああ、構わない」  レリアは恋人がする様に腕を組むと、ふわふわとする頭をアクセルの肩に乗せた。  アクセルは緊張した面持ちで支払いを済ませると、二人は店を出た。
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