人としての優しさ

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人としての優しさ

中学生くらいの頃の私は障がい者に偏見があると思われていたし、差別しているとも思われていた。 私としては偏見なんてないし、差別なんてしていない、と思っていたし、声を大にして言っていた。 その度にお前の意見なんか聞きたくないと言われたけど。 とにかく、私は「障がい者だから、カワイソー」って思って、優しくするのも、されるのもごめんだし、なんでも、障がいを強調するのはやめてほしいと思った。 これを言えば、「なんだ、お前もか」と思われかねないけれど私は中学生の頃から、発達障害児、アスペルガー症候群、として噂されていたし、(病院で診断されたことはまだ無かった。)後に、本当にアスペルガー症候群、統合失調症、と言われた。 とにかく私が言いたいのは「障がい者だから」、「可哀想だから」で優しくするのではなく、「色々な人に色々な優しさ」を向けられる人でありたい、という事。 そのほうが優しくされた人も、プライドが傷つかなくてすむと思うのだ。 例えば、車椅子の人には車椅子を押してあげたり、目の見えない人をいきなり触らない、というのもまた、ひとつの優しさだと思う。 でもそれは人としての優しさであり、障がい者だからではない。 いや、人としての優しさであってほしい。 そういうことも中学生の時の同級生達もきちんと分かっていて、私の事がウザいだけだったのかもしれない。 でも、「障がい者って診断されたら皆優しくなると思うよ〜」って言われた事は今でも覚えている。 私が、「そう?何で?」と聞くと「そうだよ!だって障がい者なんだから」の言葉に涙が出ると同時に、腹が立ったのを覚えている。 でもそれは、障がいときちんと向き合えていない私への世間からの荒波だったに違いない。 私はかつて、当時実家で一緒に住んでいた弟に頭のおかしい奴とか、障がい者と、目の敵にされていた。(ほぼ毎日暴れていたからだと思うが。) 妹にも恐がられていたし、弟とも毎日のように取っ組み合いの喧嘩になっていた。(毎日1人で叫んで暴れていたからだと思うが。) それでも人は誰でも障がい者になりうる。 だからこそ、障がい者だから優しくしたり、また障がい者だからキツく当たったり、それはなんだか少し違うと思うのだ。 しかし、違うと思うからと言っても、自分の考えが本当にあっているのか、そして具体的にこれからどうしたらいいのかはまだ答えは出ていない。 だから、当分はここに眠らせておこうと思う。
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