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1989年 秋
二年前の晩夏―――
待ち合わせの喫茶店に到着した 成瀬 光は辺りを見回し、一番奥の席に座っている初老の男に目を留めた。白髪の薄毛、頬のこけた顔、陽に焼けた肌――― 数日前に会った男の存在を確かめると、テーブルの前に歩み寄る。
「お待たせしました、寺島さん」
汗をかいたグラスを手に持ちアイスコーヒーをすすっていた男は、唇を離すとニヤリと笑った。
「事務所じゃなくて すんません。二、三日前からエアコンがぶっ壊れてサウナ状態なんですわ」
口元からこぼれる欠けた歯を成瀬が見入っていたら、向かいの席を勧められ そこへ座った。
成瀬がこの男の存在を知ったのは、職業別電話帳の興信・探偵の欄だった。『経験豊富な調査員が即座に対応します』という謳い文句に望みをかけ、高鳴る鼓動を押さえつつ受話器のボタンを押した。そして、出てきた相手に依頼内容を告げて面談。その数日後、調査終了の報告を受けて この場にいる。
――― 少ない予算で請け負ってくれた興信所だったけれど、望み通りの仕事をしてくれただろうか
値段もだが、うだつの上がらない男の風貌に不安を募らせる成瀬を尻目に、男は持参したA4サイズの封筒を差し出し自信ありげにこう言った。
「調査報告書です。どうぞ、ご確認を」
注文を取りに来た店員が去った後、成瀬は中を改めた。
『調査報告書』と書かれた最初のページをめくると、ワープロで書かれた文字がびっしり羅列してあった。氏名・生年月日・住所に始まり、学歴・職歴・性格・能力・交友・生活態度・収入――― 喉から手が出るほど欲しかった情報を貪るように読んでいたら、男が得意げに話し始めた。
「調査対象者ですがね、現在D市の病院で勤務医として働いています。六年前に結婚した女性と二人暮らしで子どもはナシ。音大出の妻は自宅でピアノを教えています」
「……」
「休日には二人でショッピングや食事に行く姿がたびたび目撃されて夫婦仲はいいようですが、夫は接待や付き合い以外にも夜の街を出歩いているようです」
そして、そっと顔を近づけると
「彼、男色家みたいですね」
「えっ?」
「これが証拠の写真」
そう言うと、封筒に一緒に入っていた写真の何枚かを見せた。そこには、ビルの中へ入って行こうとする調査対象者の姿があった。
「尾行して確認したら、そういったサロンでした。時々足を運んでいるようです」
「サロン?」
「一見すると会員制クラブですが、実態は男の同性愛者達に出会いの場を提供するハッテン場です」
『ハッテン場』という言葉を聞いたことはあるが詳しく知らなかった成瀬が眉間に皺を寄せていると、「男同士が淫らな行為をする場所ですよ」と男が卑猥な笑みを浮かべた。
「じゃあ、彼はバイセクシャルだと?」
「ま、そういうことでしょうな」
成瀬は唖然とした。よもや姉の婚約者だった男がそんな性癖の持ち主だとは思わなかった。彼女の話だと、誠実で真面目で自分のことをこよなく愛してくれた男性だったということなのに……
だがその時、成瀬の脳裏に妙案が浮かんだ。
自分は女性に関心を持てない性癖だった。なので、あの男を誘惑して不倫関係にもちこみ、それをネタに姉への謝罪と慰謝料の請求。これをのまない場合は関係を暴露して社会的ダメージを与え、家庭も崩壊させる――― そんな方法で捨てられた姉への復讐を果たすことができるのではないか…… と。
そして数日後。
成瀬はゲイ雑誌を購入し、そこで紹介されていた地元のハッテン場へ足を踏み入れた。男と寝た経験のない成瀬は、それなりの知識と経験がなければ姉の元婚約者と密接な関係になるのが困難ではないのか? と考えたからである。
彼が入った場所は、怪しげなネオンが瞬く歓楽街の一画にあるビルの一室だった。そして、意を決するとフロントの従業員に近づき話しかけた。
「初めてなんです。システムを教えて下さい」
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