145人が本棚に入れています
本棚に追加
1989年 冬
それから数ヵ月後、成瀬は生まれ故郷を後にした。数年前から計画していた復讐を遂行するため、姉の元婚約者のいる町へ移り住むのである。
当分帰って来ない心づもりだった彼は、引越しの前日に父と姉の住む実家へ顔を出した。
父は肝臓疾患の病状が思わしくなく、ほぼ寝たきりの状態だった。何度入院を勧めても「自由にできないからいやだ」「人に気を使うのがいやだ」と言ってきかない。
そんな頑固な父は、成瀬が中学生の時に母と離婚した。原因は母の不倫で、それ以来酒に溺れて暴力をふるい、父方に引き取られた成瀬はたびたび被害を被った。
母方に引き取られた姉は、父の病状が悪化すると住んでいたアパートを引き払い十数年ぶりに実家へ戻ってきた。今は近所のクリニックでパートの看護師をしながら看病を続けている。
「ただいま」
成瀬が出迎えてくれた姉にそう言うと、彼女は目元を綻ばせた。一時期げっそりやつれていた顔がふくらみを取り戻し、心身ともに回復の兆しを見せていることに成瀬は安堵した。
「父さんの具合はどう?」
「相変わらず」
「病院の先生はなんて?」
「入院を勧められたけど聞く耳を持たなくて」
「検査データの値は?」
「総ビリルビンとアンモニアの数値が上がってきてる」
「肝性脳症の兆候は?」
「今のところはないけど、腹水と黄疸が増強ぎみよ」
「薬は?」
「それだけはきちんと飲んでくれるから助かってる。止めるときつくなるのを知っているから」
妻と別れて生きる気力も望みも失っていた父親は闘病意欲が少なく、入院をしなければならない病状なのに決して首を縦に振らない。
本当は、自分も家に戻って看病した方がいいのだが、父からの虐待が今だ尾を引く成瀬はそれが出来なかった。ただ、金銭の援助をする事しか……
居間へいくと、そこから隣の和室が見え、布団の一部が見えた。様子を覗いてみると、父は半座位になり膝の下に枕を入れられ眠っていた。
一ヶ月ぶりにみる父の姿は、長い闘病生活のせいか かなり老けた印象だった。やつれた顔は黄疸で黄色に染まり、上半身は痩せているのに腹部は膨れ、下肢はパンパンに腫れている。病状が深刻なのは一目瞭然で、成瀬は足元に座るとぼんやり顔を見つめた。
「光、お茶が入ったわよ」
姉の言葉で立ち上がった成瀬は、居間に戻って座卓についた。そして目の前の湯気立つ湯呑を啜っていると、姉が待ちかねたように話しかけてきた。
最初のコメントを投稿しよう!