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第2話 話という程の事ではないのですが
サビーナがメイドとしてオーケルフェルト家に来て、三ヶ月。
未熟なりに仕事は覚えたつもりだ。オーケルフェルト家は大きな屋敷で使用人も多く、役割分担がしっかり決まっている為、あれこれしなくて済むので助かっている。
サビーナの主な仕事は、来客対応とお茶出し。食事の忙しい時間帯に突入すると配膳を手伝ったりしているが、その程度だ。基本的にゆったりと仕事が出来る。
しかしこの日、サビーナの仕事が極端に少なく、暇を持て余していた。他のメイドや執事に仕事が無いか聞いてみたが、自分で考えて行動しなさいと言われてしまったのである。
だが彼らは決して意地悪で言っているのではなく、仕事を割り振ると自分の仕事が無くなってしまう為、そう言わざるを得なかったのだろう。サビーナは困って、野良猫のように廊下をウロウロしていた。
「うう、何しよう……」
昼の食事の準備まではまだまだ時間がある。いつもは騎士の鍛錬所へお茶を運ぶのだが、今日は数名の騎士を残して外へ魔物退治に出ている為、時間は潰せない。
掃除でもしようかと思ったが、掃除夫がそこら中をピカピカに磨き上げているし、掃除素人のサビーナが手を出せば余計に汚してしまいそうだ。何をしていいのか、本当に分からない。
「うーん……セヴェリ様に何かご用はないかな」
そう思い立ってセヴェリの部屋へと向かった。しかし呼ばれたわけでも無いのに入るというのは、やはり憚られる。どうしようかと部屋の前を何度も往復していたら、しばらくして扉が開いた。中からはもちろん、セヴェリが出てくる。
「あ、せ、セヴェリ様……」
「ああ、サビーナでしたか。ずっとウロウロして、どうしたのです?」
「ええっと、それは……」
「私に何か用でも?」
「え、ええ、まぁ……」
「では中へどうぞ」
誘われるままに中へと入ってしまった。彼の部屋は当然の事ながら綺麗に掃除されており、花瓶に生けられた花が美しく主張している。
「で、どうされたのです」
「えーっと、それが、実は……」
「話が長くなるようなら、座りましょう。どうぞ」
セヴェリに椅子を引かれて、サビーナは硬直した。こんな事をされる立場にあってはいけない。サビーナはただのメイドなのだから。
「わ、私は立ったままで! セヴェリ様こそお座り下さい!」
「良いから座りなさい。これは、命令ですよ?」
口元に緩く握った拳を当てて、クスクスと笑われる。どう見ても、面白がっているようにしか見えない。
サビーナは、仕方なくその椅子に腰を下ろした。
こうして話を聞いてくれるのは、何もサビーナが特別だというわけではない。セヴェリはこうして使用人一人一人の話を、よく聞いてくれている。
セヴェリ付きのお世話係というものは存在せず、必要な時に必要な人材を呼ぶというスタイルだ。サビーナが呼ばれる時は、基本的にお茶やお茶菓子を要する時だけである。
「さて、ではサビーナのお話を伺いましょうか」
「あの、話という程の事ではないのですが……」
「何です?」
セヴェリが目の前に座り、サビーナはモゴモゴと切り出した。
「あの、何か、仕事を頂けないかと思いまして……」
「仕事? 転職したいという事ですか」
「ち、違います!! ここは待遇も良いし、仲間も良いし、辞めるつもりなんてありません! ただ、めちゃくちゃ暇で……あっ」
滑った口を押さえ、サビーナは慌てて言い直す。
「ち、違うんです! いつもは暇じゃないんですけど、いや、暇な時もあるといいましょうか、根を詰めて働かなくて良いっていうか……じゃなくて、それ自体は有り難いんですけど、暇な時は何をして良いか分からないというか困るというかっ」
言い訳に言い訳を重ねていたら、どんどん言いたい事が分からなくなってきた。墓穴を掘っている気がする。
サビーナが糸に絡まったかの様にもがきながら説明していると、セヴェリはクスクスと笑い出した。
「あ、う、あの、すみません……セヴェリ様」
「いいえ、言いたい事は分かりましたよ。つまり、忙しく働きたい、という事でしょう?」
「は、はい。平たく言うと、そういう事に……」
「うち以外の貴族の所で働けば、倒れるほど忙しく働けますがね。良ければ紹介しますよ」
いつものクスクス笑いではなく、意地悪にニッコリと微笑まれる。これは、怒らせてしまっているのかもしれない。
「ううう、そういう意味ではないんです。ここで働かせて下さい……」
「おや、ちょっと言い過ぎましたね。冗談ですから笑って下さい」
笑って下さいと言われて笑える冗談でもなく、サビーナはどう反応していいのかと目だけでセヴェリを見上げる。それを受けて、セヴェリはゆっくりと話を始めた。
「……我がオーケルフェルト家は、皆に倒れて欲しくありません。だから、余裕を持って仕事をして貰っています。そして余裕を持つと、細部に気を遣える人になるのですよ。いい加減な仕事はしなくなるという事です。忙しいとイライラしてしまうでしょう? 人にも優しくなれず、人間関係も悪くなります。私は、できるだけ皆と仲良く過ごしたいのですよ」
確かに、オーケルフェルト家に仕える者は、皆穏やかだ。性格の合う、合わないはあろうが、対立している様子は見えない。心に余裕があるとはこういう事なのだろうか。意見交換をしている場面はよく見るものの、感情に任せて言い争うような事にはならない。
「どうしてもやる事がなくて暇なら、趣味を生かして我が家に貢献して下さい。皆そうしていますよ。そこの花瓶は掃除夫のカルナドが作ってくれた物。花を生けてくれたのは、庭師のユーゴ。コースターにしてある刺繍は、厨房のアーリンが。女性は割と刺繍を好んでしてくれますね。編み物も人気のようで、冬になるとひざ掛けが全員に配られていたりしますよ」
お世話係という姑のような存在がセヴェリの近くにいないからこそ、次期当主という立場の彼に、気軽に贈り物が出来るのだろう。彼もそれが分かっていて、お世話係を付けていないのかもしれない。
高貴貴族にも関わらず、こうして多数の使用人がセヴェリの部屋に訪れて贈り物をしているのは、アンゼルード帝国でもセヴェリだけに違いない。
「どうしました? サビーナ」
サビーナはギュッとスカートを握って俯いた。
他の使用人がしているように、サビーナも仕事以外の何かで貢献したかった。しかし花瓶などどうやって作るか分からないし、花を綺麗に生けられるセンスは持ち合わせていない。刺繍や編み物など、やった事すらないしやりたいとも思えない。特技と言える物がなさ過ぎる自分に、サビーナは冷や汗を掻く思いだ。
「私……何にも出来なくて……」
「何も?」
「はい……」
「サビーナは幼い頃、何をして遊んでいたのですか?」
「え、えーと、そうですね。リックに……あ、兄に少し剣術を習って、それでチクの木を切って遊んでいました」
「チクの木を?」
「はい」
肯定すると、セヴェリは珍しくプッと吹き出した。サビーナは驚いて顔を上げる。
「ック、ハハハハハッ!」
「セ、セヴェリ様.?」
「っぷ、くくく……いえ、すみません。とても意外で。勇ましいお嬢さんだったのですね」
「は、はぁ、まぁ.……」
その後も笑いを噛み殺すように、クックと笑いを続けるセヴェリ。言うんじゃなかったと後悔すると同時に、こんなに笑うセヴェリの姿を見られて、幸運だとも思う。
「ふう。すみません、失礼を」
「いえ」
「うーむ、剣術ですか.……時間が出来た時に、騎士の鍛錬所で腕を磨いてみては?」
「それをしても、オーケルフェルト家に貢献できるとは思えませんが……兄に才能ないと言われましたし……」
「メイド達で買い物に行く事もあるでしょう。何かあった時、あなたの剣術で我が家に仕える者を守れるかもしれません」
それは、買い物に行くのに剣を携えて行けという事だろうか。メイド服に、長剣。想像するとあまりに不似合いで、ちょっと……いや、結構イヤだ。
「……お気に召さないようですね。なら……ああ、そうだ。あなたにも貢献できる事があるじゃないですか」
「え! 何ですか??」
サビーナが身を乗り出すと、セヴェリはいつものように優しく微笑んだ。
「私にクッキーを作る事ですよ」
「……っへ?」
その言葉に、サビーナは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。確かに刺繍や編み物に比べれば、お菓子作りは好きだ。しかし下手の横好きというやつで、先日セヴェリに食べさせた通り、味は良くない。
また今度作ってくれと言われて、浮かれてハイと返事をしてしまったが、それは社交辞令であっただろう。仕事が無いと文句を言われたので、気を遣ってクッキーを作れと言ってくれたに違いない。これはどうあっても断るべき事象である。
「それは、出来ません!」
「何故です」
「だって、ボソボソして、こなこなして、カラカラになるじゃないですか……」
「そこが良いんじゃないですか。あなたにしか作れません。あなたにしか、頼めないんですよ? だから、お願いしているんです」
目を細めて微笑む彼は、反則だと思う。こんな風に頼まれて断れる者など、おそらくこの家には存在しない。
「うう、分かりました……じゃあ、時間が出来た時は……クッキー焼いたり、剣術を習いに鍛錬所にも行ってみたりします」
「ええ。ありがとうございます」
丁寧に頭を下げるセヴェリに、サビーナも慌てて頭を下げた。
そうして部屋を出ると、今度は先輩メイドのニーナがセヴェリの部屋に向かっていた。
「あら、サビーナもセヴェリ様に何か用だったの?」
「はい。空いた時間をどうすればいいか相談に行ってて……ニーナさんは?」
「私は文献の写しをセヴェリ様に渡しに。私の曽祖父は歴史家で、世に広まっていない事も資料に残してるのよ」
ニーナは空いた時間に何かを書いていたが、どうやらセヴェリに渡す物だったらしい。
彼は何にでも造詣が深いが、こうして使用人の長所を引き出す為に、己も勉強せざるを得ないのかもしれない。こんなに多くもの使用人に気を使っていたら、胃が痛くなったりしないのだろうか。
ニーナはご機嫌でセヴェリの部屋をノックし、中へと入って行った。
「私は……鍛錬所にしようかな」
セヴェリの元へと訪れる人が多いので、優しいセヴェリが気遣いしなくて済むように、サビーナはそちらを選んだ。
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