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「……」
手が無職と書くことを拒絶する。昨日までなら会社員と書けたのに。が、嘘を書くわけにもいかない。
俺はしぶしぶ職業欄に無職と書き込んだ。
「ありがとうございます!」
書類を渡すと、若い店員はキラキラと輝くような笑顔でぺこりと頭を下げた。眩しい。
俺にもこんな頃があっただろうか。あったはずだ。
契約を終えて、俺は妻と一緒に店を出た。
「もっといい書き方はないんだろうか? 無職じゃあんまりだろう。定年退職者。……それも変だな」
さっきのことが気に掛かって頭をひねってしまう。
「気にしてたの?」
「当たり前だろう」
俺はムスッとして言った。
「いいじゃない」
俺の気持ちなんか全くわかっていないのか、妻が笑う。
「だって、これまで毎日お仕事大変だーって言ってたでしょう? 定年して毎日が日曜日の人が羨ましいって。やっと退職できたのに嬉しくないの?」
そういえば、そんなことも言っていたかもしれない。実際に自分に降りかかると、なんだか不思議な感じだ。
「今まで一生懸命働いてきて手に入れた無職でしょう。別に無職って書いたからって、あなたがやってきたことが無くなるわけでもないでしょ。もっと誇ればいいじゃない」
妻がにっこりと笑う。
「……そうだな」
俺もつられて笑う。
そして、決意した。次に無職と書くことがあったら、今度は堂々と書いてやろうと。
まあ、もう少しいい言い方があれば、と考えてはしまうのだが。
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