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「お邪魔しま~す」  靴を脱いで洗面台で手を洗ってソファの横に鞄を置くまでの及川の動作が慣れた風で、清白は少し恥ずかしくなる。それだけ及川がこの部屋を訪れたということだ。  はじめこそ、他人が自分の生活空間に入ってくるということに激しい抵抗があった。玄関先で何分も及川を待たせたこともある。それも徐々に、ゆっくり、清白のペースで慣れさせてくれた。  今は及川がソファに座ろうが、キッチンを使おうが、ベッドに横になろうがほとんど気にならない。それだけ彼が清白の「内側」に入ってきた証である。 「アイス冷凍庫に入れとくね。それとも今食べる?」 「いや、風呂入ってからにする」 「んじゃ俺もそうしよ」  なんて生活感のある会話。こんな会話を他人とする日が自分に訪れるだなんて、思ってもいなかった。改めて及川という存在の貴重さに驚く。  清白が風呂から出ると、及川はソファの前で床に脚を投げ出して座り、ガラステーブルの上に英語のテキストを開いていた。明日からの夏期講習で使用するものである。毎年同じものを使用しているので清白などは問題も粗方覚えてしまったが、今年から X会で講師のアルバイトを始めた及川にとっては初めてのことだ。教えるポイントや解答を赤でびっしりと書き込んだ努力の跡が微笑ましい。 「ソファに座ればいいのに」 「ごめん、床に座るの嫌だった?」 「いや、そうじゃない。尻が痛くならないか」 「だってソファとテーブルの高さ合ってないよコレ」 「そうか? 俺は気にならない」 「自分のことになると案外大雑把だよねえ。そういうところも好き」 「……いいから風呂入ってこい」 「は~い」  及川は鞄の中からバスタオルと着替えを引っ張り出すと、洗面所へふらふら向かう。そろそろあれ用のタオルやら何やらを置いてもいいのかもしれないとは思うのだが、同棲のようでむず痒い。まだ先送りにすることにした。  浴室のドアを開ける音の後に、間を空けずにシャワーの音。静かな部屋で水音を聞いていると、妙な気分になってしまう。気を紛らわすためにテレビの電源を入れる。タイミングよく旅番組をやっているところだった。東北の平泉が紹介されている。社会科、特に歴史を専門にやっているため、この類のものは好きだ。  ソファに深く腰掛けて中尊寺の特集に真剣に見入っていると、突然顔の横にアイスクリームの棒が差し出された。ぎょっとして振り返れば、汗を流してさっぱりとした及川が片手に一本ずつアイスを持って立っていた。 「はい。待っててくれたんだ?」 「一緒に食べようと思って」  受け取って、袋を破る。味は清白のリクエストでチョコミントになった。及川が隣に座ったのを確認して、一口かじる。 「そういうところ、すっげー好き」 「また、そういう」  清白の部屋のソファはあまり大きくない。ひとりで使うことしか想定していなかったからだ。ふたりで並べば必然的に太腿やら肩やら肘やらが触れてしまう。それを気にしてか、いつも及川は清白に近い側の腕を背もたれに伸ばして座る。肩を抱かれているような錯覚がしてドキドキしてしまうのは、まだ内緒にしている。 「だって好きなんだもん。あー幸せ」  一口、二口、三口。たった三口で及川はアイスを食べ終わっている。ビニールに棒をくるんで捨てる姿を見て呆れてしまった。この早食いはいつか太る。気をつけて見ておかなければ。  一方清白の手にはまだ半分ほどチョコミントアイスが残っている。一口食べ進めたとき、暇になった及川の手が、すすすと伸びてくる。 「触っていい?」 「ま、って。テレビ……観てる」 「うん。触るだけ」 「ん……」  そっと、大きな手が太腿に載せられる。子どもをあやすような優しさで数度撫でられて、それだけで背中がぞわぞわしてしまう。一口分だけ残ったアイスを一気に口に入れる。もごもごと咀嚼しながらごみを片付けていると、太腿の上にあった手が脚と脚の間に入ってきた。柔らかい部分を何度も撫でまわされる。勝手に息が詰まってしまう。いつの間にか、背もたれにあった手が肩を抱いていた。 「ん、おい……テレビ、まだ」 「観てていいよ」  集中できるわけがない。ああ、せめて金色堂の紹介だけは見ておきたいのに。音をたてて耳朶に口づけられた、それが限界だった。  震える手をリモコンに手を伸ばしてテレビを消す。 「いいの?」 「お前のせいだろ、ばか」 「観ながらでもいいのに」 「お前に触られると他のことなんか意識できない」  顔を及川のほうに向けて、Tシャツの襟を掴む。それが合図だったように、唇が重なった。 「ん。んっ」  はじめから深く交わり合う。どちらの舌もチョコミントの味がした。濡れた音が鳴るのがいやらしくて、やっぱりテレビをつけたままにしておけばよかったと後悔する。だが再びリモコンに手を伸ばす余裕はない。ぐいぐいと体重をかけられ、長いキスが終わるころには、清白はソファの上に仰向けになった及川にのしかかられていた。 「もっと触っていい?」 「ん……」  もう触っているくせに聞いてくるのは、つまり、より直接的に触れてもいいかということ。了承を態度で示すために、及川の背に腕を回した。清白と変わらないくらい痩せ型のくせに、背中も肩幅も広くてずるい。 「積極的だね」  Tシャツの内側に、手が潜り込んでくる。汗を流したばかりでさらさらと心地よい肌を数度撫で、平坦な胸を、そこに膨らみがあるかのように下から揉んだ。左の胸を完全に手のひらで覆われて、心臓を鷲掴みにされたような緊張が走る。及川の手のひらは熱く、皮膚が硬くて少し乾いていた。 「すげードキドキしてんね」 「当たり前、だろ……っ」 「うん。俺のほうが百倍ドキドキしてっけど」 「っん、ぁっ」  死ぬぞ、というツッコミは胸の頂きを突然指先でつままれたことで、上擦った鳴き声に変わる。こんな声。片手の甲で口を覆うが遅い。及川はニヤリと笑うと、今度は人差し指の腹で、優しくそれを転がした。 「つ、あっ、ん、うっ」 「先生、胸感じるんだ」 「ぁ、ばか、やめ、ぁっ」  再びぎゅうとつままれて、背がしなる。手つかずの右の胸がうずくだなんて、気のせいだ。 「顔あかい……可愛い」  頬にちゅっちゅっと口づけられる。その間にも右手の指先は胸を弄び、左手は部屋着の上から太腿を撫でさする。膝までしか丈のないズボンだ。あっさりと、裾から侵入を許した。 「少し汗かいてるね。暑い? エアコン強くする?」 「へ、いき……」 「そう? じゃあこれも平気?」  ズボンの中に入り込んだ手が、脚の付け根の窪みという、際どいところを掠める。ひくりと喉がのけぞった。そんなところ。もう肝心なものに触れたのとほとんど変わらない。その「肝心なところ」が先程から変化を見せていることにも、当然お互いに気づいていた。
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