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「せんせー、冠の字間違ってる」
変声期独特の中性的な声に指摘され、清白は「は?」と声を裏返らせながら黒板を振り返った。確かに、「冠位」と書くべき箇所が「寇位」になっている。板書のミスなど、これまでしたことがなかった。
「あ、ああ。元寇の寇になっているな。悪い、直してくれ」
教育者の心がけとして、己の非は正直に認めることにしている。素直に訂正すれば、前のほうに座る何人かがどっと笑う。
「せんせー聞いたことない声出してた」
「ねー超うける」
裏返った声をばっちり聞かれていたらしい。何もかも及川のせいだ。強い力で「寇」の字を消しながら、清白は心の中で何度も悪態をついた。馬鹿な。何かの間違いだ。そうでなければ不正行為か。くそ、及川め。
焦る心とは裏腹に、授業は淡々と進行していく。中学二年生、清白が担当する学年だけあって、よく慣れているのでやりやすい。多少上の空でもそれなりに授業が成り立つ。
「じゃあ問一の年表埋めは左ページを見ながら。問二は何も見ずに。合わせて十分、はじめ」
問題を解くときは一言も話さないのが清白のルールだ。生徒たちもそのことをよく分かっているので、シンとなって問題に集中する。全員の頭が下を向いたのを確認し、清白は机間指導を始めた。生徒たちの机の間を回り、手が止まっているものがあればヒントを指し示し、正答が書けているものや、拾い上げたい誤答を脳内でピックアップする。成績順で分けたうちの、出来るほうのクラスだ。少しひねりの利いた問題以外はおおよそ正答を書けている。指名したい生徒をあらかた確認し教壇に戻ろうと踵を返したとき、胸ポケットに入れていた多色ボールペンが弾みで飛び出した。
カシャッと軽い音を立てて床に転がったそれを、何人かの生徒が目で追う。拾い上げようと屈み込むが、近くに座っていた生徒のほうが速かった。メタリックブルーのそのペンを拾って「はい、先生」と笑顔で差し出してくれる。清白はそれを一瞬遅れて「ありがとう」と受け取り、胸ポケットには入れず、教卓の隅に置いた。
「十分経ったので、答え合わせ。各自赤ペンを出して」
解答を朗々と読み上げながら、清白の意識は二つに千切れている。ひとつは及川のこと。今日、火曜日は日本史の授業がある日ではないが、高三は英数の授業があるため間違いなく来ている。今頃はひとつ下の二階で授業を受けているはずだ。何とかして、彼に会わずに逃げ切る方法はないだろうか。思考を巡らすが、うまい手が見つからない。
もうひとつは、教卓の隅に置かれた多色ボールペンのこと。清白が解答を読み上げる間も、気になる誤答を拾い上げて解説している間も、メタリックブルーのボディは静かに何かを訴えてくる。まだ暑さの残る季節なのに寒さを感じ、清白は捲っていた長袖シャツをさりげなく降ろした。
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