僕はもう、きっと小説を書けない

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僕はもう、きっと小説を書けない。 この高台で何処まで続くか、なんて想像もしない程、その向こうにある景色を創造しない程に続く不完全な蒼い流動体を眺めながら、彼は風に乗ってやってくるあの想いと戦っている。 浜辺で遊ぶ子供や大人の声は波音によって残酷にも打ち消されている為、彼の想いの円環を断ち切るモノは今、何も無い。 暑苦しい、夏休みの終わりだ。 比較的背の低い、然し月の様な存在感を放つ彼はたこのできたその手から鉛筆を無意識に落としてしまった。 気が付いてしまった。 結局創りたかったのは愛じゃない。 僕は誰かの世界への侵略者なのだと。 気がつけば視界は黄金色に染まっていた。 意識が眼の前の大海原へと向けられてゆく。 小説を書き終わり、こうして意識が戻ってゆく瞬間はやはり何処か淋しいが癖にもなる。 放り投げられた時計に目をやる。 ...2023年12月28日16時14分 ...あの日からずっと書いていたんだな。 気がつけばもう寒かった。 防寒着は着ていた。 でもとても、とても寒かった。 手と頭だけが熱を帯びていた。 彼はその小説を眺めると にこり、と嬉しそうに笑った。 もう1人の自分を作れた、と。 小説を書き終わると頭に蓄積された荷物を全て吐き出した様な気分になって風船のように意識が朦朧としてくる。この感覚が好きだった。足元が普段から覚束無い様な性格と俺は遠くに離れ過ぎていたから、俺は好きだった。 とは言っても小説を1つ完結させたのは今が初めてだった。前回書いていたのは長編だったから、完結する前に君がいなくなってしまったから熱が冷めてしまった。心に穴が空いて、そこからどろどろとした何かが溢れ出てしまって、もうそれはどこにも無くなってしまった。 あの日以来、初めて立ち上がる。 此処稲村ヶ崎には沢山の人が夕陽に溶かされる富士の山を眺める為にやって来る。 俺もそれは見ていたけれど視ていなかった。 風船がまだ割れないのだ。 ...約5か月前の事だった。 俺は1つの小説に魅了された。 2人の少年と独りの少女、また別の少年少女が愛すること、を巡って葛藤する物語だ。 『時計の針は進まない』という文章をよく覚えている。 あの小説を見つけたのは投稿されてから1年後、今年の7月10日だったこともよく覚えている。題名の1日前に全て読んだこともあり『渚』という人は何を伝えたかったのだろうか、と考えたことも。 それからというもの狂ったかの様に小説を書き始めた。彼に追いつこうと、否。追いつきたいと想いただ必死にを動かし続けた。 でも、僕には糧になる様な経験が無さすぎた。 何も書けなかった。 人間らしく抱え、沈み、また浮かぶ様な生き方をしてこなかった事を思い知った。 でも、その次の日から僕の横には君がいた。 少し長めのボブカットで、肌の白さ故にだろうか人形の様にも見えた。 彼女の目は何処か遠くを見たがっていた。 寂しそうな茶色がかった目をしていた。 君は僕の小説を好きだと言ってくれた。 そう思ってくれる君を想って僕はまた小説を書いた。 君は深海の様な紺色をした小さな手帳をいつも持ち歩いていた。 御守りのようだった。 内容は見せて貰えなかったけれど、その一節に僕の名前が刻まれている事を知っている。 嬉しかった。 でも、君はその1ヶ月後突如としていなくなった。 姿を見せなくなった。 それは、まるで死期の迫った猫の様だった。 勝手にそう解釈していた。 僕はまた独りになった。 その孤独に駆られて書いた小説が今、殴る様にして書いた之だ。 意外と、これも悪くないなと俺は思っている。
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