とある日のカフェにて

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「ねぇー、生まれ変わったら何になりたい?」 激闘のランチタイムを耐え抜き、やっと一息付けた午後1時21分。 それは唐突に私の鼓膜を震わせた。 石田美紀、25歳。 学生時代から始めたバイトも、気づけば最古参。 店長からの信頼が増す度に募る心のモヤモヤ。 私…何してるんだろう。 ぼんやり考える頭とは裏腹に、彼女の手はテキパキと次の段取りへと移る。 そんな時聞こえた、誰かの問いかけ。 “生まれ変わったら何になりたい?” ランチタイムを過ぎた午後1時21分。 軽やかなドアベルと共に、その言葉は私の耳へと届いた。 沢井幸太郎、63歳。 いつものカフェに、いつもの席、いつものブレンドコーヒー。 そしていつもの新聞を広げ、ふと思う。 私は…何をしているのか。 早期退職に応じて数年。 沢井が得たものは、まとまった金と…途方もない時間だった。 振り返れば、ただ目の前の仕事をこなしてきた人生。 そんな日々を繰り返してきた男が、おいそれと妻のご機嫌取りなど出来ようはずもない。 気が付けば家を追い出され、夜まで時間を潰す日々。 そんな時聞こえた、誰かの問いかけ。 “生まれ変わったら何になりたい?” 「はい!その件は…ええ、ええ!はい、申し訳ござ…はい!失礼します!」 深いため息が告げる午後1時21分。 呑気な笑い声に包まれたその言葉は、俺の耳を煩わせた。 木野雄大、34歳。 突然の部署移動を命じられ早1年。 慣れない営業職に振り回され、今日もまた心の何かが削れる音がする。 俺…何やってんだろう。 家族の為、そう言い聞かせ耐え忍ぶ毎日。 俺が折れてしまったら…その先は怖くて考えられない。 そんな時聞こえた、誰かの問いかけ。 “生まれ変わったら何になりたい?” 生まれ変わったら…。 誰しも一度は思い浮かべたことのあるフレーズだろう。 石田はテキパキと手を動かしながらも、妙に心惹かれるそのフレーズを頭でなぞった。 生まれ変わったら、か。 薄らと笑みを浮かべた口元を押さえ…そして首を振る。 何を考えてるんだ私は。 生まれ変わったら…。 ぼんやりと新聞に視線を落とした沢井は、遥か昔の面影を追っていた。 あれは、そう。 初めて妻と手を繋いだ日のこと。 恥ずかしそうに目を伏せた彼女がポツリとこぼした言葉。 “生まれ変わっても、またこうして手を繋ぎたいわ。” 生まれ変わったら…。 木野は深く椅子に腰かけ直すと、ほの暗い笑みを浮かべ天井を仰いだ。 生まれ変わったらだって? そんなこと考えたところで何になる? この胸糞悪い現実が変わるのか? 変わるわけがない。 「あたしはさ…もうこの人生が最後でいいかなって思うんだよね。 あ、違うよ?人生を悲観してるとかじゃない。その逆! あたし幸せだなーって心底思うからこそ、これで最後がいいわけ。」 石田は弾かれたように顔を上げた。 “幸せだからこその、最後” そうか…そんな考えもあるのか。 その瞬間、彼女の胸に沸き立ったのは焦燥感だった。 私はまだ、そこまで言い切れない。 なぜだろう。 そう問いかける自分に、自分が笑う。 分かってるくせに。 石田はニッと笑うと、店長の元へと歩み寄った。 「店長!私…」 沢井は静かに目を閉じた。 ああ、妻は今、幸せだろうか。 また生まれ変わってもと、言ってくれるのだろうか。 碌に家庭を顧みなかったこの老いぼれを…笑うだろうか。 沢井はゆっくりと目を開け、窓の外へと視線を向けた。 …その答えを知るのは、まだ先でいい。どうせ時間は腐る程あるのだ。 彼はゆっくりと伝票を掴むと、席を立った。 今日から、また始めればいい。 木野は徐々に視界が歪んでいくのを感じた。 いつから、俺はいつから…。 無意識に手繰り寄せたスマホの画面には、仲睦まじい家族の姿。 戻れるだろうか。 あの頃に、あの頃の俺たちに。 その時、スマホが着信を告げた。 「はい!お世話になっており…」 条件反射で立ち上がった木野は、相手の声を聞いて弛緩する。 妻だった。 なんてことない用事に、変わらず柔らかい声音。 ああ、そうか。 「俺さ…変わるわ。」
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