役割

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 月曜日。ああ、なんて憂鬱な日。  体が動かない。ベッドの中に横たわったまま、指一本動かすのも苦痛だ。  また、今日から一週間、地獄の日々が始まってしまう。でもしょうがない。  いじめられるために学校に行く。それが今の私の役目なんだから。 「おはよう」  私の挨拶は完璧な沈黙で無視される。それを後目に、クラスメイト達が仲良くおしゃべりに興じている。 「ねえねえ、今日の放課後さあ、バーガーショップに行かない?」「あ、いいね」  私のすぐ前の席の由紀ちゃんのところに二人ほどクラスメートが集まってくる。みんな楽しそう。でも、私にはその輪に入ることは許されない。  昼休みにトイレに入った時、いきなり、後ろから突き飛ばされた私は、床に転んでしまった。 「てめえ、うぜえんだよ!」  いきなり髪を引っ張られ、引き起こされる。そのまま、水をはった洗面台に顔を突っ込まれる。何度も何度も。ようやく解放された時には、頭からずぶ濡れになっていた。  翌日も、その翌日もいじめの嵐が私を襲ってきた。びりびりに引き裂かれた国語の教科書が机の中に突っ込まれていた。机の上に、「超淫乱ビッチ少女」とマーカーで落書きされた。まさに、地獄の日々だ。ああ、でも今日は金曜日。何とかここまで来た。あともう少し我慢すれば、今週が終わる。そうすれば、一息つくことができる。私はひたすら、耐えた。歯を食いしばって耐え抜いた。今日をやり過ごせば、今週が終わる……  なんとか金曜日の最終授業を終えた私は、カバンをひっつかむと、全速力で教室から走り出た。終わった!一週間が終わった!これでひとまず休める。校門を走り出るとき、涙があふれてきた。  その翌週。月曜日の朝。  登校した私は、朝の挨拶をする。 「おはよう」 「あ、井上さん、おはよう」「おはよう、涼香」  さっそく、仲良しの茉奈と智子が私の傍によって来る。 「ねえ、涼香ちゃん、放課後さあ、ドーナツ屋さんに行かない?」「いいね。どこにしようか」  二週間前の月曜の朝と同じ、クラスメイトとの他愛もない、でも楽しい会話が始まる。  そんな光景を私のすぐ後ろの席の山岡さんが、虚ろな目で見ている。  そう、今度はあんたの番よ。いじめの対象が今日から彼女にシフトしたのだ。  その日の昼休み、私は早速、茉奈と智子と一緒に山岡さんをトイレに閉じ込めた。そして、上の隙間からバケツの水をぶちまけてやった。  もう去年のことになる。二年生の夏休み明けに、私はこの中学に転入してきた。父親の転勤に伴う転校だったのだけど、この学校は前評判がとてもよかったので、多いに期待していた。生徒たちはみんな明るく、誰に聞いても学校が楽しいという答えしか聞かれないそうだ。勉強や部活にみんなが思い切り打ちこんでいて、実際、学業では、有名高校への進学率は県下でナンバーワン、また、部活でも様々な分野で全国大会の常連で、しょっちゅう優勝や入賞のニュースを耳にする。 「井上涼香です。よろしくお願いします」  今でも思い出す。緊張しながら、クラスの前で挨拶する私に、クラスメイトみんなが、暖かい拍手で迎えてくれた。休み時間になると、早速私の周囲にみんなが集まってきた。 「ねえねえ、今どこに住んでるの?」「部活なにやりたい?案内してあげる」「何でも気軽に聞いてね。色々わからないだろうから」「俺、大村です。井上さん、よろしくね。とにかく、ここはいい学校だよ」  本当に、噂通りの明るそうな学校だ。私はここに転入してきて本当に良かったと思ったものだ。  それからしばらくの間は、本当に楽しかった。すぐに友達も出来て、毎日学校に行くのが楽しかった。部活は音楽部にした。この中学の音楽部はレベルが高く、それこそ全国大会の常連校として有名だった。そういう場所で自分の腕を磨いてみたいと思ったのだ。私の向上心に火が付いて、毎日練習に励んだ。とても充実した毎日だった。  ところが、とある月曜日。いきなり私の挨拶はみんなから無視された。  実は最初に登校した日から、何となく違和感を覚えてはいたのだ。転校してきた私に、みんなとても親切に接してくれていた。とても楽しそうに話し、面倒見もよく、そして、クラスの雰囲気もとても活発で、いい学校に来たと思った。  ただ、何故かぽつんと浮いた存在の生徒がいるのも、何となくわかった。ある生徒のことをみんなが無視している。時々、その生徒は頭からびしょぬれになっていたり、机の上のひどい言葉が書かれていたりするのを私も目撃した。そんな生徒が何人かいるらしいのだ。  なんだ、いい学校とか言っていても、やっぱりここにもいじめが存在するんじゃないか。がっかりした私は、とにかく変に目立たないようにしようとして、ごく平凡な普通の生徒であるように心がけていた。  そんなある日、突然月曜日の朝から、私の挨拶が冷たい沈黙の中に呑み込まれたわけだ。 「おはよう」  もう一度大きな声で繰り返すが、誰も返事をしてくれない。誰もが、私がここにいないかのように、私の存在を無視している。 (これって……)  つまりは、私がターゲットになったらしいのだ。果たしてその日のうちに、私の英語のノートに、口にするのも憚られるような落書きが施されていた。  驚いた私は担任の清原先生に相談した。自分がいじめの被害に遭い始めたことを報告して、助けを求めた。  だが先生は、端正な顔に薄笑いを浮かべたまま、こう言った。 「井上さん。あなたはまだ転校してきて間もないから、知らないことも多いでしょうけど、もうちょっと我慢してくれない?しばらく我慢していれば、きっといいことがあるわよ」  その殆ど当事者意識の無い発言に、私は絶望し、あきれ返った。もう、学校側に助けを求めても無駄ってことじゃないか。とにかく、自分で何とかするしかない。  私は必死になって耐えた。とにかく、今週を乗り切れば、週末は一息つける。あと三日。あと二日。毎日襲ってくるいじめの嵐を必死に耐え抜いた。 そして、翌週の月曜日の朝。もう死んでしまいたいと思いながら、抜け殻のようになってしまった体を引きづるようにして登校した私は、驚愕した。 「井上さん、おはよう」「あ、涼香、おはよう」  二週間前と同じ、明るく元気な挨拶が私に投げかけられたのだ。  呆然としている私のところに、茉奈ちゃんたちが集まってくる。彼女達も先週末まで私のいじめに加担していたのに。  思わず後ずさる私に向かって、いかにも屈託のない笑顔で智子が話しかける。 「ねえ、涼香ちゃん、放課後さあ、バーガーショップに行かない?」  状況が呑み込めずにぽかんとしていると、教室に入ってきた清原先生が、笑顔で話しかけてきた。 「井上さん。後で、ちょっとお話ししましょう」  そのまま平和にホームルームが始まった。 「ね、先生の言った通りになったでしょう」  状況がまだよく呑み込めずに不安そうな顔をしている私に向かって、薄笑いを浮かべながら、先生は説明してくれた。 「井上さんは、まだ転校してきたばかりで、このシステムを知らなかったのも無理ないわね。先入観を与えないように、あえて黙っていたんだけど、無事に一週間が終わってよかったわ」  確かに、今は私はいじめの対象ではなくなったらしい。だが、これは、”無事に終わってよかった”とか言える話なのだろうか。 「井上さん。人は人を傷つけたがるものなのよ」  戸惑っている私に、先生は話を始めた。 「……はい?」  少々唐突な言葉に、先生の言いたいことが良くわからなかった。 「人間は人間を攻撃したい生き物なの。傷ついた相手が泣くのを見てると嬉しくなるの。徹底的に罵倒して、侮辱してやりたいの。顔に唾を吐きかけたいの。相手の顔面を思い切りぶん殴りたいの。大事にしていたものを奪って壊してやると気持ちよくなるの。相手の胸を刃物で刺して、真っ赤な血が流れるのと見ているととても幸せになるの。相手の首を自分の手でしめて、殺してしまいたいの。人間はそういう生き物なのよ。 「でも、現実にそれを行うことは、自分にも色々リスクが発生する。自分が加害者として糾弾されたり、警察に通報されたり、運が悪ければ逮捕されたり、色んな社会的なペナルティを課されることもある。いくらこの国で加害者の人権が手厚く保護されてるからといっても、あまり露骨な場合は、一応それなりに罰は受けることもある。或いは、たまに相手が実は物凄い力を秘めていて、反撃されるかもしれない。だから、一応周りを見ながら思いとどまっているだけなのよ。いずれにしても、そんな人間の衝動を完全にコントロールするのは、どだい無理な相談なの。さて、では、どうしたらいいでしょう?」  言葉を切った先生が、意味ありげに私の顔を見る。 「そう、どうせそれが出来ないのなら、いっそのこと、いじめる側といじめられる側を順番に分担すればいい。お互い様ってわけ。それなら公平感があるでしょ?つまり、いじめに”当番制”を採用したわけよ」  いじめの当番制?……あまりにも突拍子もない話で、私にはまだよく理解できなかった。 「一人の生徒がいじめの対象になると、猛烈ないじめの嵐がその人を襲う。でも、一週間経つと、翌週にはみんな何もなかったように、また仲良く接し始めるの。そして、その週からは、別の生徒がターゲットになり、また地獄の一週間を過ごす。ところが、その翌週には、その生徒は”解放”されて、また別の生徒がいじめられる。これを繰り返していくわけよ。 「実際、この”いじめ当番制”、正確に言えば”いじめられ当番制”だけど、これが導入されてから、この学校はとても平和に運営されているわ。たまに巡ってくる一週間だけ辛い思いをすれば、翌週は、今度は自分がいじめる側になることができる。いつ自分がいじめられる側に落とされるか、といった不安も無くなるしね。だから、みんないつも幸せなの。みんな毎日笑顔で学校に来て、勉強や部活もさかんだし、いきいきと学校生活をエンジョイしているのよ」  端正な顔立ちにときおり冷たい笑いを浮かべながら淡々と話す先生の説明を、私はどこか信じられない思いで聞いていた。 「まあ、いきなり言われてもよくわからないかもしれないわね。とにかく、そういうわけで、この学校はとても居心地がいいところだってことは、分かってもらえたかしら。たまに巡ってくるわずか一週間の”お当番”さえ乗り切れば、あとは、素晴らしい学校生活をエンジョイできるの。実験は大成功だったわけよ」 「実験?」 「そう、私はもともと教育学部出身じゃなくて、文学部で社会心理学を選考していたの。このいじめ当番制も私の発案による実験なのよ。今や、ここはいじめ対策のモデル校、素晴らしい成功例として、色んな学校から話を聞かせてくれって依頼がしょっちゅう舞い込んできて、もう、忙しいったらないのよ。クフフフフ」  少し顔を紅潮させながら心から楽しそうに笑う先生の美しい横顔を、私は呆然と眺めていた。  ”いじめ当番”は、毎週毎週、順調に機能していた。私もすっかり学校に溶け込んで、充実した毎日を過ごしていた。  そんなある日、ふと私は思った。  またいつか自分の当番は回ってくる。その時はまた、一週間辛い思いをしなければならない。  なら、いっそのこと、誰かを”固定メンバー”にしてしまえば、永遠に自分の番は回ってこないですむじゃない……  そう、特定の一人をみんなでいじめぬく。もともといじめってそういうものじゃない?いじめである以上、それが結局のところ”原点”なわけだから……つまり、”原点回帰”ってやつよ。  私はまず、とある火曜日に、来週の当番に当たっている紀子ちゃんに、さり気なくこの話を振ってみた。来週から自分がいじめられることが分かっているから、憂鬱な気分に浸っていた紀子は、果たして、二つ返事で同意してくれた。そして、その次の週の当番になっている森田君にも、念のため打診してみたら、やはり簡単に乗ってきた。それから、自分の周囲の親しい友達の何人かに自分のアイディアを話してみた。 「いいね、それ!」「そう、あたしも前から思ってた。そうだよね」「いいんじゃない?」「そうだよ。やっぱ、それが自然だよな」  結局、みんな同じような考え方を持っていたということだ。  果たして、その翌週の月曜日。 「おはよう」  前の週の当番だった貴美子の元気な挨拶は、みんなの冷たい沈黙に呑み込まれた。 「あれ、みんなどうしたの?」  戸惑う彼女の声に応えるものは誰もいない。 「あれ、今週の当番って紀子だよね……」  縋りつくような貴美子の言葉は、相変わらず冷たく無視される。 「紀子、おはよう」  私が先頭を切って紀子に笑いかける。 「おはよう!」  紀子も笑顔で答える。 「紀子、おはよう」  それを皮切りに、クラスメイトが一斉に紀子に挨拶する。 「ちょっと!どうなってんのよ!違うじゃない!今週は紀子じゃん!」  半泣きの貴美子の抗議の声は、冷たい沈黙の中に呑み込まれていった。  こうして、二週目も貴美子へのいじめ地獄は続いた。  週が変われば解放されるのではないかという彼女の淡い期待は、あっさり打ち砕かれ、三週目の月曜日も、彼女の挨拶は無視された。いじめは一層激しさを増し、水曜日にはお葬式ごっこで彼女の机には白菊が供えられた。  そして、四週目の月曜日。  貴美子は登校してこなかった。  どうなったんだろう。いよいよ登校拒否になったのかな。妙な期待感のようなものを感じながら、みんながざわついていると、朝のホームルームの為に清原先生が入ってきた。その端正な顔は、今日は妙に無表情に見えた。教壇に立った先生の口が開くと、淡々とした口調で、みんなに告げた。 「悲しいお知らせがあります。宇田川貴美子さんは、昨日自ら命を絶ってしまわれました」  一瞬、静かな空気の流れのようなものが教室を走ったが、すぐに沈黙が支配する。結果が重大だったので、さすがにやり過ぎだったか、とみんな一瞬驚いたが、今は余計なことは自分から言わない方がいい。そういう意味の沈黙が、私を含めて、瞬時にクラス全体に共有されたのだ。 「宇田川さんは、三週間に亘っていじめを受けた挙句、耐えられなくなって自殺してしまいました。遺書も残っているそうです」  淡々と報告する先生は、相変わらず無表情だ。 「折角うまく機能していた、当校の”いじめ当番制”は妨害され、機能不全に陥ってしまったわけです。皆さんにもその責任があります。ですが、一番最初にそれを発案した人が一番、罪が重いと私は思います。その方がどなたか、皆さんご存知ですか?」  多分、先生もとっくに情報はつかんでいるんだろうが、あえてみんなに聞いているのだ。果たして、クラスの全員が、一斉に私のことを指さした。 「井上さん、後でゆっくり、お話しを聞かせてくださいね」  教壇から私を見下ろす先生の端正な顔は無表情で、一層冷たい感じがした。そして、その能面のような表情は変えないまま、低い声で付け加えた。 「……ったく、あたしの実験を台無しにしやがって、このクソガキ……」  (よく言うよ。多分、貴美子は二週目になってもいじめが続いたことに驚き、すぐにあんたに訴えた筈よ。でも、そのままあんたは何もしなかった。これも”実験”の一つの流れだとか思って、放置して様子見を決め込んだんでしょ。それが、自殺という結構重い結果になっちゃったから、その無表情な顔の裏で内心、慌ててるくせに。もとはと言えば、あんたのいい加減な思いつきでアホみたいな当番制を始めたのが原因じゃないの。貴美子も、そしてあたしを含めたクラス全員もあんたの犠牲者よ……)  でも、もう遅い。私の方を盗み見るようにしながら、クスクスと笑う声が教室のそこかしこから聞こえてくる。そう、いずれにせよ、今度は私が”固定メンバー”に任命されてしまった。明日から、いや、もう、たった今から私にとっての地獄の日々が始まったのだ。永遠に…… [了]
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