不登校日誌

1/1
17人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 不登校は問題行動ではないとは言うけれど、本人からしてみればどうだろうか。答えよう。当事者として言わせてもらうなら辛い事しかないのです。  僕がこの日記を付け始めるときにまず一頁目に記す。  正直不登校は世間から見たら学校に通わないで家でのんびりとしている人間だと思われている。だが、それは違う。確かに家に居る分学校でのストレスと言うものは少ない、のかもしれない。けれど、日々当人としてはこんな事ではダメなんだと理解をしている。  毎日そんなことを思いながら過ごしているとどうなるかなんて、もう誰にでもわかるだろう。心を病んでしまう。実際そんな子供も多く居るんだろう。  だから僕はもう不登校を辞めようと思った。  時期的に高校へ進学したので新しい環境だから不登校からの復帰には良いらしい。らしいと言うのは人に言われたから。正直なところ不安しかない。  中学なんてもう三年生の時には教室で授業を受けることなんてなくて、別室登校なんかで出席日数を稼いでたんだから、怖さがないわけがない。  しかし、高校は生徒数も少なくて不登校も積極的に受け入れてくれていて、更に勉強をしなくても入試に受かった。公立だと言うのに。それも勉強をしてなかったから数学なんて解けた問題は数個だった。内申だって普通に不登校と記されているのがわかる。  それでもこんな僕にでも進学を許され、道は開かれていた。 「特に理由なんて分からない」  僕が誰かに不登校の理由を聞かれた時の言葉。これを言うと理解不能で不可解な顔をする人も多いけれど、不登校児と接することの多い人はそれで納得している。こういうのも多いと聞いたことも有る。  まあ、理由が分からないと言うことはもしかしたら復帰は簡単なのかもしれない。そもそも僕は学校ギライと言うわけではない。普通に学校には通いたいし、通っていた時には良い思い出もある。  ところがだ。実際になってみるとどうだろう。入学式から授業が段々と始まり始めた頃、僕はもう限界になっていた。日記は別に毎日付けるつもりはなかった。元々特別なことがあった時だけのつもりだった。それなのに弱音を綴り続けていた。  日々意味の分からない不安や恐怖に押しつぶされそうになりながら、自分の居場所と思えない教室の片隅でただ時間が過ぎるのを待っている。  やっと一日が終わったとしても翌日がまた訪れるのを考えるとそれは憂鬱にしかならないで、朝になって学校に向かうときに挫折しそうになる。  その時は「一度自分で決心したことだから」と逃げたい気分に嘘をついていた。  とても痛い様な時間を過ごしている僕はとてもひどい顔をしているだろう。誰かが僕の事を見て笑っているのかもしれない。自分の机はとてものんびりできる場所ではなかった。  もちろん周りの人間は僕が不登校だったと言うことは知らないだろうから、普通に新しい友達を探して声を掛けてくれる人間も居たけれど、その返答にも失敗したのだろうか、気が付いた時には孤独になっていた。 「もう逃げてしまおうか」  まだ疲れる時間の続いている休み時間にポツリと僕が呟いた。当然誰も聞いてない。聞こえないように呟いたのだから。  けれど、その時にやっと周りが見えた気がして、僕の隣には真っ青で怖い顔をしている女の子が居た。こんな人の事は気付かなかった。隣の人間がわからないくらいに僕は必死だったんだろう。 「ちょっと、君」  つい声を掛けそうになった。それは大丈夫なのかと聞きたかった。あまりにも顔面蒼白で恐らく僕より気分が悪そうだったから。  そんな風に僕がその女の子に声を掛けようとした時にうしろの席から肩を叩かれた。 「ソイツ。おかしいから声を掛けんなよ」  いじめとかそんな言い方ではなくて、どちらかと言うと僕の事を心配して注意をしてくれているみたいな、明るい言葉遣いだった。 「入学からソイツの声を聞いた奴はいないんだよ。話しかけても全く無視なんだから」 「へー」  こんな時に返す言葉が見つかればまだ彼とは話ができたのかもしれないが、そんなコミュニケーション能力だって乏しい僕はそれから黙って、隣の彼女を眺めた。  当然気になったからで、どうして彼女はこんなに緊張しているのだろう。僕自身よりも辛そうな人間を見ると、安心できる部分でもあったから眺めたんだろう。  彼女はそれからも明らかに病的とも思える表情で時に机に伏せたりもしているが、一応真面目に授業は受けている雰囲気。意味が解らない僕が問題を解くのを諦めた時だって、ずっとノートと向かい合っている。  その姿はとても頑張っている様に思えて、今朝も逃げようとした自分が弱々しくも思えて情けない。  一日の授業の終わりを告げるチャイムが鳴るとちょっとホッとする。悩みが一つ消えたのだから。でも、次の悩みはまだ現れるが、明日は彼女のことが気になる様な気もするからちょっと楽かもしれない。  むやみにただ静けさを表すような雨。道路を走る車の走行音が水を跳ねる音で騒がしいのに、どことなくシンとしている気がする。傘を忘れて駆け込んだのは屋根しかないバス停。通学に僕が使っている学校から一つ離れたところだった。  肩についた雨粒を払うと、普段誰も居ないから選んだバス停に人の姿が目に入った。ベンチすらもなくて学校から同金額なのに一つ分遠いバス停に居るのは僕だけじゃなかった。  学校で毎日見る女子の制服。同じ学校だと思うとうんざりもする。関わる必要もその気分でもない。  別に無視をしたって良かった。だけどふとしたときに服装だけでなくてもっと見慣れた印象があって気になる。僕がこんな事になるのはそうは無い。その女の子はあの蒼白の彼女だった。  今はもうそんなに落ち込んだ顔をしていない。それでも振り返って眺めている僕に気づかないくらいなんだから考え事をしているんだろう。なぜ君はそんなに不安定なんだ。そんな言葉が浮かんで、声にしないで問うていた。  木から落ちた水滴が金属のバス停の屋根を叩く。バタバタと小気味良いメロディを奏でた時に彼女は顔を挙げた。その時になってやっと僕のことに気が付いて視線が交錯する。  彼女は驚きなんてしないけれど、やはり僕が眺めていたのは不思議だったようで、雨に染まったような瞳で僕のことを見返していた。 「こ、こんにちは」  ちょっと上手く言葉が出ないで全く自然ではなかった僕の声に、 「隣の席の人ですよね?」  か細く鳥が鳴いているような音色で彼女からの返答が有る。 「貴方。もしかして、不登校だったんじゃないですか?」  見透かされているような言葉に僕の心が痛いほどに鼓動していた。もしかしたら彼女は一緒の中学だっただろうか。そんな記憶なんてない。そもそも三年の時は同じクラスだったとしても僕にはわからない。 「すいません。ちょっと予想しただけなんです。間違ってたらごめんなさい」  慌てる彼女はまた俯きそうになっていた。けれど、僕はそんなことよりも彼女がこんなに気軽に喋っていることに驚いていた。その姿はちょっとうれしそうにも見えたから。 「間違ってない」 「えっ?」  流石にこれはもう誰にも言わないつもりだったから返事はとてもサイレントになってしまったから、彼女が聞き返している。もう僕は取り繕うことを諦める。 「そうだよ。俺は不登校だった。えーっと、知らないけど同じ学校だった?」 「いえ、私は北中で多分貴方とは違います」 「そうか。俺は東中だから。だったらなんで?」  彼女が予想した理由がわかりません。別に僕は不登校らしい行動をしている気はなかったから。 「私も不登校なんです」  それでも理由にはなってない。だから彼女は続ける。 「なんとなくそう思ったんです。隣で見てると、この人はとても頑張ってると思えて。それになんだか似てるなって」 「そう、なんだ」  理由を知りたかったけれど、今はもうそんなことよりも彼女も不登校だったと言うことが気になった。だから飲み込む様な返事しかできない。  恐らく彼女も僕と似たような恐怖と戦っているのかも。だからあんなに酷い顔色をしているんだ。そして誰かに声を掛けられても返答に困って、無視していると思われて言葉が少なくなる。  一緒だと思うと、どうしてかうれしかった。 「高校から復帰しようと思ったんですけど、ちょっと難しいですね。本当はお喋りが好きだからもっと話したいのに機会をなくして。それで教室に居場所がないって思っちゃって。もう辛くて」  彼女の頬に水滴が流れる。雨は屋根に遮られている。それは涙だった。  話をしていたら彼女はホントに辛くなってしまったんだろう。僕だってそうだ。誰かに話したい。けど、話してしまったらもう逃げてしまいそうだった。  まるで自分を見ているような彼女の可憐な姿に僕は言葉をなくしていた。ただ泣いている彼女を眺めていただけ。見惚れていただけ。 「私はもう駄目なんだね。君は挫折しないように」  涙を流しながらその表情は笑っている。とても悲しい笑顔。そんなものを見ていると僕も悲しくなる。  静かな空間を消すようにバスが近づいた。それは彼女が乗るものだったらしくて、彼女は涙を袖で拭って手を挙げていた。 「じゃあね。誰かに話せてよかった。君なら頑張れるだろうから」  去り際の言葉に頷けない僕は手を伸ばして彼女の腕を掴んだ。 「どうしたの?」  俯いて黙っているから彼女はそんな僕を見て戸惑っているのがわかる。そしてバスの方も彼女が乗り込まないのでおかしな顔をしているから「すいません。乗りません」と僕はこれまでよりボリュームを上げて断っていた。 「君も逃げないで!」  自分に言うように彼女に叫んでいた。その言葉は発進するバスのエンジン音にも負けてない。  今、彼女が脱落してしまったら僕までそうしてしまいそうだった。それもある。だけど、彼女に諦めてほしくなかったのが僕の本音。 「まだ終わってない。一緒に戦おうよ」  励まそうとしている僕のことを理解してくれているのか、顔を挙げた時に彼女はまた涙を流していた。でもそれは悲しい涙ではない。見ているだけで分かった。嬉しい涙だと。 「俺は君に会うために学校に通うよ。だから君も僕に」  一度言葉が詰まった。想いが募りすぎている。彼女に気づいた時から僕の中に積もっていた心が有る。 「話し相手くらいにはなるよ。一緒に学校に通いたい。楽しい学校にしようよ」  彼女は数度頷いていた。 「そうなると良いな」  涙の雨は止まないけれどもう冷たくはない。カラフルな傘が揺らいでいる。 「きっと叶うよ」  この時からもう数十年の時間が流れた。僕は日記を眺めながら昔を懐かしんでいる。そこには時折当時の写真を挟んでいた。  幼い印象の二人が写っている。 「若いよね」  背の方からあの声が聞こえている。 おわり
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!