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第1話 わたしはダフネ
わたしのむねには、エンジンがあります。ねつやいたみもわかりますが、それは「こしょう」をはやく見つけるためです。はじめて、その男の人にあったとき、はだがあつくなり、むねのまん中がいたくなりました。「こしょう」だったら、この人といっしょには行けない。
(それはいやだ)
わたしは、きせられたふくの、むねのあたりをぎゅっとにぎりしめ、いたくない、と、じぶんにいいきかせました。
「光崎さん。こちらが、あなたのアンドロイドです」
わたしを作った、かんだはかせが『みつざきさん』とよびかけた人が、わたしのマスターになるのだと、おそわっていました。
「さあ、おいで。一緒に私の家に帰ろう」
マスターは、めがねをかけていて、ひげがあって、かみはわたしとおなじで、かたにつくくらいのながさ。かみのいろはくろいけど、ときどき、しろい。ずいぶんせがたかいです。わたしのせは、マスターのむねまでしかありません。まゆげのあいだのしわがすこしこわそうだけど、目はひかっていて、口のりょうはじも上がっている。
(この人は、わたしとあって、うれしいみたい)
わたしは、はじめてあったラボいがいの人にどきどきしながら、ほほえみをうかべて、わたしにむけてのばされたうでの中に入り、だきつきました。なぜか、なつかしいかんじがしました。ハグのしかたをおそわったときに、いいださんとハグしても、そんなきもちにはならなかったのに。マスターは、すこしふるえています。さむいのでしょうか。わたしはマスターのせなかを、そうっとなでてあげました。マスターはいいました。
「ありがとう。君は優しい子だね」
ほめられて、すこしうれしくなりました。
かんだはかせが、マスターにせつめいしています。
「彼女のボディは機械ですので、見た目は現在の二十歳前後から変わりません。メモリにはAIを搭載しています。人間の少女の頭脳を模して初期学習を済ませた状態の今は、幼稚園児から小学校低学年くらいの知能と情動だと思ってください。マスターの人柄やライフスタイルにフィットする人格が形成されるよう、敢えて大人に仕上げていません。子どもと同じように教育してあげてください。数か月から数年もあれば、立派に大人になります」
はかせがはなしているのは、わたしのことみたいですが、むずかしくて、よくわかりませんでした。わたしはマスターと手をつなぎます。
「じゃあラボの皆さんに、さようならしようか。これからも、たまに遊びに来るからね」
マスターのことばに、うんとうなずき、わたしはラボのみんなに、おわかれしました。
「ばいばい」
マスターは車にのってきていました。車を見たり、のったりするのははじめてです。こわごわドアに手をのばし、ひっこめると、マスターがわらって、あけてくれました。
「さぁ、どうぞ。お嬢さん」
「ありがとう」
わたしはいすにすわりました。車にのったら、シートベルトをするんだった! かしこいところをマスターにみせようと、いっしょうけんめいベルトをさがします。でも、ベルトが見あたりません。
「この車は、ちょっとベルトの位置が特殊なんだ。……ほら。できたよ」
マスターはとなりのせきから体をのりだしてきて、わたしのシートベルトをとめました。ちかくで見たマスターのかおには、ほくろやそばかすがたくさんあります。にんげんのかおを、こんなにちかくで見るのは、はじめて。まじまじ見ていると、マスターはきまりわるそうに目をそらし、わたしの上からはなれていきました。
ドライブは、たのしかったです。木や草が、かぜにゆれるようす。ラボではあまり見ることがなかった、そとのけしきにうっとりしました。わたしはマスターに、いい子だとおもわれたかったので、おとなしくしていました。おしゃべりをせず、車にさわったりもせず、目と耳だけをうごかして。とちゅうで気づいたのは、まどガラスに、わたしのかおがうつっていることです。ラボでは、自分のかおを見たことがなかったので、わたしは、まじまじとガラスに見入りました。かみは黒くてまっすぐで、あごの下くらいで切りそろえてあります。まえがみは、まゆの少し下まであります。まゆは、太くてまっすぐしており、ふたえまぶたの目は、それほど大きくはありませんが、ラボの女の人たちからは、
「涙袋がしっかりしていて、女らしいわ。それに、目尻が切れ長で印象的な目をしてる。とてもチャーミングよ」
そう、ほめてもらっていました。マスターも気に入ってくれるでしょうか。わたしは、それがいちばん気になっていました。
(でも、きっと、わたしをちゅうもんしたときに、このかおでいいっていったはずよね)どきどきするむねに、わたしは、そういいきかせました。
いちじかんくらいで、車はとまりました。
「ここが、今日から君の家だよ」
さんかくのやね、ベージュいろのかべ。白いまどわく。いえのまわりには、たくさん木や花があります。わたしは、一目で、にわもいえもすきになりました。ここでくらせるんだ。うれしくて、にわをあるきまわりました。とてもいいにおいがする白い花がありました。花びらがたくさんかさなったかたちから、ばらの花だろうと、わたしはおもいました。花に、においがあるなんて、しりませんでした。わたしは、むねいっぱいにいきをすいこみながら、花のかおりをかいで、そして、ほうっといきをつきました。
「……とっても、きれいですね」
ほんとうは、くるくる回ったり、うたい出したいくらいうれしかった。ですが、マスターはずいぶん大人に見えました。子どもみたいにはしゃぐのをがまんして、ほほえみながらつたえると、マスターは、うれしそうなかおをしました。ですが、ほんのみじかいあいだすこしかなしそうにも見えました。
「気に入ったかな?」
わたしは、いきおいよく、かおをなんべんもたてにふりました。
「そうか。よかった。家も庭も、好きに歩き回ってくれて構わない。ただ、二階の納戸には入らないで。鍵が掛かってる部屋だ。それと、私のアトリエ――庭の片隅にある青い壁の小屋だが、そこに入るのは、私がいる時だけにして欲しい。制作中の作品には触らないで欲しいし、たまに物が倒れて来たりして危ないからね。私は片付けが苦手なんだ」
マスターはしずかにほほえみながら、わたしにいいました。わたしは、だいじなことをおそわっていないのをおもいだしました。
「マスターを、なんとよべばいいですか?」
「私は、光崎 遠矢だ。遠矢と呼んでくれて良いよ」
「とおや。とおや。
……わたしの名まえは、なんですか?」
「えっ? 私が君の名前を付けるのか?」
「ええ。ラボでそういわれました。なので、わたしには、まだ名まえはありません」
マスターは、しばらくかんがえこみました。
「……ダフネ、はどうかな」
「わたしは、ダフネ」
マスターがまじめなかおをして、かんがえてつけてくれた名まえがうれしくて、わたしはなんどもくりかえしました。
「マスターはとおや。わたしはダフネ」
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