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第2話 遠矢のかくしごと
その日から、とおやとのせいかつがはじまりました。とおやはものしずかな人です。えをかくのがおしごとだそうです。
わたしのいちばんのあそびあいては、ちょくちょく来てくれる、とおやの『おい』の、てるくんでした。てるくんは、ようちえんのねんちょうさんです。足の早さでは、わたしがかちますが、トランプやゲームでは、てるくんがかちます。
「ダフネはトランプ下手だよなー。どこにババ持ってるか、すぐ分かるもん」
「こら、輝。ダフネを馬鹿にしちゃダメよ。この子は、作られてまだ三か月しか経ってないのよ? 今は自分より下だと思ってるかもしれないけど、じきに追い越されるわよ」
てるくんにちゅういするのは、てるくんママのゆみさん。ゆみさんは、とおやのいもうとです。
「ゆみさん、だいじょうぶです。わたしがトランプへたなのは、ほんとうですから」
ゆみさんにしかられて、口をへの字にまげたてるくんを見て、わたしはいいました。てるくんが、わたしをいじめようとしていったわけではないことを、なかよしのわたしはしっていましたから。
「ダフネ、つぎは、かくれんぼしよう!」
「うん!」
わたしたちは、にかいにむかってはしりだしました。
「……やれやれ。幼稚園児が二人いるみたいだ。あいつ、輝の影響か、すっかりやんちゃになっちゃって。今じゃ、たまにちょっとした悪戯までするんだよ」
「えっ、悪戯!?」
「あぁ、そんな悪質なものじゃないよ。私の眼鏡やスマホを隠すとかね。アトリエのドアに、『おふろ』って付箋が貼ってあって、浴室に行くと『くろーぜっと』って。何回か振り回して、ようやく返してくれるんだ」
「まぁ、可愛いじゃないの。そんなことまでするのね。彼女、人間としか思えないわ。受け答えも自然だし。AIって、学習スピードがすごいわね。この家に来て、一週間? 二週間? もう何年分も成長しているし、昔から住んでるみたいよ。アトリエのガタついた扉の開け方のコツまで会得してるもの。大したもんだわ」
にがわらいするとおやに、ゆみさんは、目をまるくしてくびをひねり、ためいきをついています。
「見た目は完璧に二十歳前後の若い女性ね。まだ知能レベルは幼稚園児程度だけど」
まだ、このときのわたしは、子犬みたいなものでした。とおやだけでなく、ゆみさんやてるくんをまねして、ほめられては、こころの中で、とくいがっていましたから。
*
遠矢の家に来て、三か月くらい経ちました。その間に、私は、自分が人間だとしたら十代後半から二十代前半くらいの女のすがたをしていること、人間よりも速く物事を学べることを知りました。トランプでは、もう輝君に負けることはありません。いえ、輝君だけでなく、遠矢にも弓美さんにも。今では三人の『くせ』まで覚えています。ババを引くと、輝君は下くちびるを突き出し、ババを真ん中に入れて、少し他のカードより上に出します。弓美さんは逆。無表情で、一番はしっこにババを持つのです。遠矢は、にっこりします。ババを入れる場所は、まちまちでした。ですが私は、みんなのくせを知っていることをかくし、わざと時々ゲームに負けて見せました。ゲームに負けると、人間は少し面白くない気持ちになることを私は学びました。私は、みんなのことが好きでしたから、いやな気持ちにさせたくなかったのです。
遠矢は、昼間はアトリエにこもって絵を描いていることが大半でしたが、食事やお茶の時間は、いつも私の話にやさしい笑顔で耳をかたむけてくれました。さいしょは、私がマスターの話を聞いたほうが良いのではないかと思いました。ですが、そうたずねたら、彼は首を横にふるのです。
「私の生活は、毎日ひたすら絵を描くだけだから、取り立てて話すこともないよ。それより、この家に来たばかりの君が、毎日何を見てどう感じたのか、どんな気分でこの家で暮らしているのかを知りたい」
遠矢は目を細めて、うれしそうに私の話を聞いてくれます。弓美さんから教えてもらい、私もお茶をいれられるようになりました。遠矢のアトリエにお茶を運び、彼の描きかけの絵を見ながらおしゃべりするのは、今では私の一番の楽しみです。
遠矢は、私に、とても良くしてくれます。
「君は色白だからね。淡い色が似合う」
そう言って、クリーム色や水色、うすむらさき――ラベンダー色と言うのだと、遠矢が教えてくれました――明るく、あわい色のワンピースやスカートを買ってくれます。新しい服を身に着けると、
「すごく似合っている。綺麗だよ」
やさしく、私のかみやほおをなでて、ほめてくれるのです。少しはずかしいけれど、うれしくて、私は自分のほおが少しだけ熱くなるのを感じます。
私が気になることは二つありました。一つは、私の服をほめてくれる遠矢が、なぜか時々少し苦しそうに見えること。もう一つは、私には色んな色の服を着せてくれるのに、遠矢は黒い服ばかり着ていることでした。聞いてみたら、ゼロコンマ七秒くらい、遠矢は言葉につまりました。
「四十がらみのおじさんが着飾っても仕方ないだろう? それに、描く絵の色に集中したいから、カンバス以外は色がないほうが良いんだ。苦しそうに見えるのは……、そうだな。君があまりに若く見えるから、余計に自分が年寄りのような気がするのかな」
にが笑いしながら、そう答えてくれましたが、遠矢が本当のことを教えてくれていないことに私は気づいていました。本当のことを言う時とは、声の高さや、口元の形がちがうからです。ただ、その時の遠矢が、きず付いたように見えたので、それ以上しつこく聞いてはいけないと思い、あきらめたのでした。
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