第3話 絵を描くアンドロイド

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第3話 絵を描くアンドロイド

 ある日アトリエで、ふと思い付いたように遠矢は言い出しました。 「なぁ、ダフネ。君も描いてみないか?」 「えっ? 遠矢、私は絵なんて描いたことないよ。ラボでも教わっていないし」 「絵を描くのに理屈なんて必要ないさ。描きたいように描けば良いんだ」  遠矢は、うれしそうにいそいそとしたくを始めています。自分の画架(イーゼル)のとなりに、もう一台小さめのイーゼルを立て、スケッチブックをとめました。 「油彩は難しいだろうから、最初は水彩にしような。服が汚れるといけないから、私のスモックを着ると良い」  遠矢は背も高いし、うでも長いので、彼のスモックを着ると、ぶかぶかです。そでをなんべんも折りました。遠矢は、困っている私を見て、クスクス笑っています。私がうらめしげに見つめると、あわてて謝ってくれました。 「ごめんごめん。君が小柄なのは分かっていたんだが、想像以上に小さくて、可愛らしいなと思ってね」  かわいい、きれいだ、など、女の子としてほめてくれる時の遠矢の目はとてもやさしくて、私は少しどきどきします。でも、この気もちをどう言い表したら良いか分からず、困っていました。けしていやではなく、うれしいのですが、ふわふわ、そわそわします。 「さあ。好きに描いてごらん」  目の前には真っ白なスケッチブック。手元には、何十色もの絵の具。私の頭の中は、文字通り真っ白になりました。 『好きに描く』  どうすれば良いのか、私には分からない。身動き一つせず、とほうにくれている私を見て、遠矢は、しまったという顔をしました。 「いきなり『好きに描け』と言われても、何をどう描いたら良いか、君も困るよな。……ダフネ、ちょっとおいで。一緒に、画集を見てみよう」  遠矢のアトリエには、遠矢の作品集だけでなく、昔の有名な画家の画集もたくさんありました。それらを数冊、棚から引き抜いて、遠矢と一緒に眺めました。 「この中から、好きだとか、描いてみたいとか何か感じた絵を選んでごらん。まずは人の描いた絵を真似して描いてみよう。『模写(もしゃ)』と言ってね。有名な画家の絵を真似することは、とても勉強になるんだ。絵の大学などでも、良くやるんだよ。……最初は、特徴がハッキリしているから印象派が良いだろう」  遠矢のアトリエに出入りしていたものの、他の画家の絵をきちんと見るのは初めてです。私はとまどいながらも、ページをめくり続けました。これまでは、自分でも真似して描いてみることを、考えたこともありませんでしたから。そういう目で改めて画集を眺めると、本当に色々なものを、色々な描き方で絵にしていることが分かりました。私は夢中で画集をめくり続け、そして、おずおずと一枚の絵を指差しました。 「クロード・モネの『睡蓮(すいれん)』か。我が家の庭の池にも咲いている花だね。これは良い題材を選んだね」  遠矢は、画集を片手に、もう一方の手を私と繋ぎ、庭に出ました。 「ご覧。実物の池や花と、絵は、必ずしも全く同じってわけじゃないだろう? 画家が、池や花をどう捉えたか。画家の目で、心で感じたように描くのが絵なんだよ」  絵を描くことについて語る遠矢の目は、活き活きとかがやいています。遠矢が嬉しそうにしているので、いつの間にか私もにこにこしていたようです。 「ふふふ。良い顔だ。さあ、アトリエに戻って、今の池を思い浮かべつつ、モネのこの絵を真似して描いてみようか。ダフネ」  何枚か模写しているうちに、私は絵を描くことを面白いと感じるようになりました。  大きさや速さを測ったり、数字を計算したり、一度聞いた話を忘れないのは私の得意なことでしたが、同じ色や形の絵を描くことは、とても難しい。ですが、遠矢は、うまくお手本の真似ができていない時でも、必ずほめてくれました。 「これは君にしか描けない絵だ」  描き終えた時には、必ず、長い時間を掛けて遠矢は質問をたくさん投げかけてきます。 「なぜ、こういう風に描いたの?」 「色を重ねたら、思ったより濃くなってしまって。だから、黒っぽくなっちゃったの」 「なるほど。オリジナルは油彩だからね。水彩は色が混ざりやすいんだ。そろそろ慣れてきただろうから、油彩で描いてみようか? ……それとも、パステルのほうが良いかな」 「水彩と油彩では、そんなに違うの? パステルってなあに?」  遠矢はにっこりと、数冊の画集を見せてくれました。光と影の中に浮かび上がるバレリーナのおどるすがた。 「パステルは、手軽に素早く描けるのが良いところなんだ。油彩の模写でも使うことがある。この画家は目と足が悪かったらしい。長時間の制作には耐えられないのと、明るさのコントラストがはっきりしているものでないと、描くのが難しかったという話だ。……君に教えるのも最初からパステルにすれば良かったかなぁ。ごめんな、ダフネ。私が、あまり人に絵を教えることがないものだから」  もうしわけなさそうな顔をして、遠矢は、パステルの箱を取り出してきました。 「……色がたくさんある。クレヨンみたい」 「二百色以上あるかな? 確かに見た目はクレヨンに似ているかもしれないね。水彩と違って、紙の上ではあまり色を混ぜないんだ」  私は、パステルで描かれた絵の模写を何枚か、それから、前に水彩で模写した油彩の絵を、パステルで模写してみました。画材が違うだけで、出来ばえはもちろん、描き方が全く違うことが面白くてたまりません。
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