第6話 淡い恋心

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第6話 淡い恋心

「ダフネ。君は私にとって大切な家族だよ。でも、番ではなく、娘みたいなものだ。君はまだ子どもだからね」  遠矢は、ゆっくり優しく私に語り掛けます。けしてうそではないけれど、彼がこの話題に緊張していることが、かたい声から分かりました。 (遠矢が、私を恋の相手だと思っていないのも、私がまだ子どもなのも本当のことだ。でも、彼は、本当のことを言うと、私が気を悪くするんじゃないかって、二人暮らしの雰囲気が変わるんじゃないかって、心配してる)  内心、私は、遠矢から娘としか思われていないことに対し、がっかりしましたが、仕方ないと受け止めることができました。周りの人たちからも、娘扱いされることは、ちょくちょくありましたから。きっと私は、彼の番としては子どもっぽすぎるのでしょう。  遠矢は、私の表情をうかがい、怒り出したり泣き出したりしないことに、ほっとしたようでした。 「遠矢、私、怒ったり泣いたりしないわ。だって、私が子どもなのは本当のことだもの。そんなに心配しないで」  彼は、私に気持ちを言い当てられたと感じたのか、気まずそうでしたが、私をハグして優しく耳元でささやきました。 「恋愛の対象や、番としては見られないけれど、君のことは大切に想ってるよ」 (あ。まただ……)  私の胸の真ん中が、ツキリと痛みます。目と鼻の奥も、ツンと熱くて痛い。こんな風に私の身体の状態を変化させるのは、何という感情なのか。私は自分自身の感情に名前を与えることができず、何とも言えない気持ちでした。そして、きっと、遠矢に質問したら彼を困らせてしまうのだろうと、何となく確信していました。  私は、スケッチ旅行中、景色や植物だけではなく、動物や人間をも描くようになりました。なにしろ、私はアンドロイド。一瞬だけ見たものを記憶しておくことは大の得意ですから。 「……その動物の尾の色は、そんな白かったっけ?」 「そうよ。遠矢は覚えていないの?」 「……記憶力では、君には到底敵わないよ。そういえば、君は『忘れる』ってことはないのかい?」  遠矢は、改めて私の記憶に驚いたようです。 「アンドロイドの記憶を消したり変えたりすることは法律で禁止されてるって、神田(かんだ)博士が言ってた」 「あぁ……、そうか。アンドロイドの記憶は裁判の証拠にもなりうるからな。でも、君たちは壊れない限り、人間より長くこの世にいるんだろう? その間の記憶を全て、その小さな頭の中に留めておけるのかい?」  遠矢は、指先を私のひたいの真ん中に当てました。 「あまり使わない記憶は、小さくしてしまっておく場所があるんですって。それと、記録できる場所を使い切ってしまったら、クラウドに、古いデータを置くこともできるって」  遠矢は、興味深そうにうなずいています。 「それも神田博士の受け売りかい?」 「ううん。これは飯田(いいだ)さんから聞いた話よ」 「ああ。あの背の高い女性研究員ね」  納得したように遠矢はうなずきました。  セントラル・インダストリーという日本最大手のロボットメーカーの、アンドロイド技術研究所が、私のふるさとでした。神田博士と飯田さんは、私を作った時の中心的なメンバーです。神田博士は、私より少し背が高いくらいで、とても痩せていて、遠矢と同じくらいの年に見えますが、白髪は遠矢より多いです。短い髪に、眼鏡の奥には丸い、するどい目が光っています。私には優しかったけれど、上司にはきびしいのだと、こっそり飯田さんが教えてくれました。口ひげとあごひげがあるところは、遠矢と同じです。飯田さんは、神田博士の部下だそうです。神田博士よりも背が高い、二十代後半の女性でした。 (そういえば、なんで遠矢は私のマスターになろうと思ったんだろう?)  たずねようとしましたが、ちょうど遠矢が制作に集中し始めたところだったので、私は自分の疑問を飲み込みました。 「遠矢、お誕生日おめでとう」  弓美さんから教わった彼の誕生日。夕食のテーブルで、私は自分で描いた遠矢の似顔絵を差し出しました。裏側には短いお手紙も添えて。アンドロイドの私は、食事をとりませんが、遠矢の隣で、食事しているようなふりをして、一緒にすごすことにしていました。彼が満たされた表情を浮かべ、リラックスして、今日はどんな一日だったかを話し合う時間が大好きでした。  彼は、私のプレゼントを予想していなかったようで、鳩が豆鉄砲を食ったように驚いた顔をしていましたが、次の瞬間には、うるんだ目を細め、歯を見せた笑顔を浮かべていました。 「……ダフネ、ありがとう。まさか、君が私の誕生日を知っていて、プレゼントをくれるなんて全く思ってなかった。びっくりしたけど、すごく嬉しいよ。……それに、これは、私の自画像のタッチだ。わざわざ、私が描いた自画像を探して、参考にしてくれたんだね。私にとっては世界一のプレゼントだ」 「ええ。遠矢への『オマージュ』よ。私のマスターになってくれて、ありがとう、遠矢。あなたがマスターで、本当に嬉しいわ。あなたが大好き。これからも、そばにいたい」  遠矢は無言のまま、私を強くだきしめてくれました。私は、ほてったほおを彼に見られずにすんで、ホッとしていました。彼は、娘がお父さんに『好き』と言っただけだと思っているでしょう。でも、私は、彼には受け入れてもらえていないけれど、娘のようなふりをして、恋心を告白していたのです。
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