時局のこと

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時局のこと

 戦時下に文化人はどうふるまうべきか。  戦時と平時の区別は現代においては曖昧なものであるから、この問いに答える準備を教養人は常にしておかなければならない。  戦前戦中、日本の仏僧の一部は「殺生は殺された相手を速やかに次の輪廻におくることができる」として肯定する主張をした。 仏教にはこの種の暴力の肯定の教えがいくつか見られる。  ヤハウェはそもそも万軍の神として聖書にしるされているし、異端審問、十字軍など、高校世界史程度の知識でも、教会が暴力装置の主要な一部であったことは知ることができる。  対米戦争が始まったとき、多くの作家、文人は万歳と叫んだ。これはいくらでも確認できる。そしてその中の多くの人々が戦後すぐに、「自分は本当は戦争反対だった」と言い始めた。  ナチス体制下のドイツでは、時流に迎合することをよしとしなかった文化人がいくらかいて、彼らは積極的に抵抗する代わりに、ある種の神仙郷、アルカディア幻想のなかに逃避した。  学生のころ、このアルカディア幻想の話を聞いたときはあまり関心しなかったが、緊急避難のかたちとしてはだいぶましなほうだな、と今は思う。  そこで一生を過ごすべきだとは思わないが。    オルテガ・イ・ガゼの著述の大半は新聞のコラムだったと思う。スペイン王制崩壊期には議員として積極的に政治参加し、内戦とともにスペインを離れた。フランコ独裁の中帰国し、まったく彼に迎合することなくマドリード大学で教鞭をとった。  だからどうだ、という話はまだここではしない。  ただ、貧困や飢餓状態にある人々、内戦のなか国内避難民としてギリギリの状態にある人々よりも、生存の不安がなく基礎教育を受けており、世界の情勢についてアクセス可能な人々は、より多くの責任を負っているものと思う。    三十年後の若者たちに、あの時代あんたは何をしていたんだ? と問われたとき、どういう答えを返すことができるだろう。  それは頭の片隅において生きたいと思う。            
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