墓地を贖うこと

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墓地を贖うこと

 アブラハムの妻サラがヘブロンで死んだとき、地元の人(ヒッタイト、ヘテ人)は彼らの墓地の好きなところに葬るとよい、と言った。  寛大な申し出だったがアブラハムはこれを断り、高額を支払って墓地を買い取ることを執拗に主張した。  つまりは死んだ妻をダシにして外国のど真ん中に自民族の土地を買い取ったわけである。ここを足掛かりに、後々エルサレム王国が誕生するのは聖書に見るとおりである。  好意で得たものは好意が失われれば取り返される。アブラハムはどうしても契約に基づきこれを法的にわが物としなければならなかった。  アブラハムを尊敬し(ていたことになっている)、寛大な態度をとったヘテ人たちも、当初はユダヤ人たちをコミュニティの中に同化できると思ったのだろう。しかし、当のユダヤ人たちは、同化しないことがアイデンティティなのである。    イスラム教徒は当然この故事を学んでいる(聖書は彼らにとって聖典のひとつである)。学んだうえで日本に墓地を要求している。  イスラム教では火葬は行わない。絶対に土葬であり、いったん死者が土葬された墓地が容易に動かせないものとなるのは想像に難くない。  今、日本に対して墓地を要求しているイスラム教徒たちが、何を考えているかは知らない。  しかし、アラビア語ではイブラヒム(イスラム教においても預言者である)と呼ばれるこのアブラハムの故事を、彼らが記憶の片隅にもとどめていないということは考えられない。    ちっともタイムリーな話題ではないが、この種の運動は今後増えることはあっても減ることはあるまい。  知っていて損する話ではないと思う。          
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