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日本における差別の構造と、存在しなかった親鸞革命
日本には人種差別はないと言っていいが、だからといって伝統的に平等な社会を築いてきたというわけでもない。
穢多とか非人といった酷い呼称の被差別民が、制度自体が消滅して八十年以上経った昭和の半ばにも、きっちりと残っていたのは、少なくとも日本人が差別大嫌いだったわけではなかったことを証している。
人間はきっと皆、気兼ねなく傷つけられる相手を欲しているのだろう。
穢多や非人は何かと言えば、神道の不浄観や仏教の戒によって忌避される仕事が、文明化した社会を維持するのに必要だったから生じたものだろう。
そもそも仏教は差別を生むものだと思っている。
五戒というのがあるが、不殺生戒を守っていては、農業そのものが成り立たない。不邪淫を皆が僧侶並みに守っていては、人間そのものがいなくなってしまう。
だから、仏法の教えに忠実にしたがう僧たちが存在するためには、「道徳的に不完全な」一般労働者たちがどうしても必要になるのだ。
かつてのチベットでも近代化以前のタイでも、仏僧たちは特権的な存在だったし、権力と癒着、あるいは権力そのものになっていた。
彼らは日本の肉食妻帯を、異常なものとみなし、仏教ではないとさえ言っているが、彼らもまた彼らなりのやり方で特殊化していることに気づくべきだろう。
まあ、それはそれとして。
日本においては親鸞の時点で、そうした社会的矛盾は少なくとも哲学的には解決された。
もっとも、歎異抄に見るように、多くの「悪人」たちは親鸞の真意を理解せず、親鸞教団としての浄土真宗はすぐに崩壊してしまったのだが。
親鸞の、人間的なものすべて受容、というか肯定は、人間社会を自由で平等なものにする可能性をはらんでいたが、やはりそれでは都合が悪かったのだろう。
「悪人としての大多数」による社会は成立せず、「不浄な少数者」に罪と穢れを背負わせる社会が、江戸幕府が選んだものだった。
封建社会というには江戸時代の身分制度は流動的すぎるものだったが、最下層だけは固定的に世襲されていく必要があった。このあたり、現代のインド社会を見ることが参考になるかもしれない。
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