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流行というか定着してしまった感があるけれど
勇者がいて、魔王がいて、絶対善の勇者が暴力のくりかえしによって問題を解決する。
勇者や魔王という言葉を使わなくても、そういう構造の娯楽はつくりやすく読みやすいので、昔から数多く生産されてきた。
ただ、子供達にはそうでない物語も読んでほしいものだと思う。
価値観が毒されるというのもそうだが、学校では真逆なことを教えるからだ。
そこでは「みんな仲良くルールを守って」「暴力なんて絶対ダメ」という建前を押し付けられる。
その建前の強力さと、裏側の透けて見える薄っぺらさこそが、子供たちを毒しているのだと思う。
井沢元彦が「逆説の日本史」で書いているのだが、日本は「話し合い至上主義」だという。
基本となる原理原則がないまま、漠然と話し合っていればそれが正義で、そこから最適な答えが出てくると思っていると。
日本人には確たる善悪の観念がない、というのは中国人の言。
その通りだと思う。
しいて言うならば、集団の和を乱すものが悪で、やはりこれは「話し合い至上主義」だ。
だから、旧約聖書じみた「絶対善の手になる暴力による解決」がもとめられる、と話が一周するのだが、それでは、「正しさ(善)の基準」が宙に浮いたふわふわしたものになってしまうのだ。
大人でも日本人は、正義の反対はもう一つの正義、などと真顔でいう。
それでいいわけがない、というか、それでは困るだろうと思うのだが、そういう人たちは、いざ自分の手に銃を握ったとき、何を根拠に自らを律するつもりでいるのか。
結局のところ日本人は「ふわふわしている」のだ。
日本人は、他国民と比べて成熟しているのではない。あるべきものが欠落しているのである。
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