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noteに投稿したものの再録
人はつじつまの合った人生を求める。
努力に見合った成果を期待する。
頑張っていれば夢はかなうなどと誘導する大人もいる。
嘘である。
人生には、予測もコントロールもできない、自分の責任の及ばない変化が、それもとりかえしのつかない損失になるような変化が、あたりまえに転がっている。
散歩していたら、隕石に当たって死ぬかもしれないし、アパートに引きこもっていたら隣の部屋の火事に巻き込まれて死ぬかもしれない。
夢に向かって努力している人にも、引きこもってゲームしている人にも、同じように地震や津波のリスクはある。
全ての変事に対してリスクヘッジすることなど不可能だし不合理だ。
生きているというのはそういうことだ。
つじつまなんて合わない。
人生にはバランスシートなんて存在しない。
何かを実現しようとか、苦労したぶんのもとをとろうとか、そう思ってももちろんかまわないのだが、それはうまくいくかどうかわからない、自分の力の及ばない範囲で決定されることだ。
むしろ如来だとかアラーだとか、上位存在の気まぐれで一方的に生かされていると思ったほうが、生きることは楽になる。
今生きているこの命は、本来あるはずのない、偶然与えられたものなのだと。
私はどこの宗教のまわしものでもないが、そう思っていれば感謝が生まれる。
もう十分だという気持ちになり、世界の美しさが目に飛び込んでくる。
誰でも必ず、とは言わない。
飢餓状態の人や、虐待のさなかにある人にとって、生きることは地獄だろう。
それでも、そこに自分の責任などないのだと思うことは、何かの救いになるかもしれない。
いや、言うまい。
その立場に立ってみなければ何もわからない。
それはそれとして、あまりに多くの人が、必要のない荷物を自ら背負っているように思えてならない。
私たちは偶然生きている。
それがすべての答えであり果実なのだ
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