わりとどうでもいいこと

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わりとどうでもいいこと

 物質主義を極めたアメリカ合衆国が、同時に頑強なキリスト教原理主義国家であるというのは、矛盾でも多様性でもなく、相補的なことなのだろう。  聖書に約束された永遠の生、あるいは死後の復活という願望を、これ以上ないくらい即物的に、ビジネスとして受け止めようとしたのがアメリカ社会である。  クライオニクスと呼ぶそうだが、「医療技術の発達した未来に蘇生してもらう」という望みをかけて、極低温で人体を保存する技術があるのだ。  不治の病に犯された人や、単に高齢な人が、業者にお金を払って自分を冷凍してもらうわけだが、全身の冷凍保存はコストがかかるので、頭だけを切り離して保存するということもやっているようである。  その時点で死んでるじゃないかと思いそうなものだが、未来の技術は超すごいので、頭さえあれば復活できるぜ、という理屈らしい。  さて、現在のITテクノロジー(死語)で同様のこと――人格情報をデータ化してクラウドにアップロードし、未来のヴァーチャル空間で受肉してもらう、という詐欺、じゃなくてビジネスも容易に成立しそうであるが、調べてみた限りまだ存在しないようである。  想像するに、アップロード作業を終えた後も、コピーをしてもオリジナルが消えないように、クライアントの自我は肉体に残り続けるので、「あれ、結局俺このまま死ぬんじゃね?」という懐疑を避けられないからだと思う。  わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です  というのはご存知宮沢賢治の「春と修羅」の一節だが、これは奇想でもなんでもなく、仏教の基本理念そのままである。  自我というのは現象であって、保存も再現も効かない一回きりのものだと、賢治は自明のこととして理解していたわけだ。  これこそ本当のことだと思うが、ほんとうのことは必ずしも、人間の素朴な欲望の受け皿にはならない。  クライオニクスはアメリカとロシアで実践されている。  こういうものはこれからも、形を変えて生き続けるのだろう。  それは人間の愚かさでもあるし、だからこそ面白いとも言える。    
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