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庶民育ちの杏里にはわからない世界にいる人がさもあたりまえのようにいうのは、そんな古い習わしがまだ生きているってこと? そんなの飲み込んで『はい、結婚しましょう』なんて言える女性はいかほどか。
「ですが……、そちらの女性が許されないのでは」
「承知済みです。自分がいつか妻を持つこと、その女性と家庭を持ち子供を持つことは、彼女も随分前から覚悟をしていましたから」
だが所詮、女同士。正妻になろうとしている女のことなど、快く思うはずもない。しかし彼女が愛人に甘んじるには理由があった。
「彼女は十代の時に子供を産めない身体になったため、こちらの家に適う嫁にはなれないのです」
だから産める女を妻として娶らねばならない。頭を下げ続け、杏里と目も合わせられない彼の眉間には深い皺が刻まれている。
杏里に申し訳ないからなのか。それとも自分にとって不本意な結婚にしかならないからなのか。或いは、女に頭を下げていることへに対しての苦痛なのか……。まだ妻ではない杏里には判らない。
「母が気に入り、彼女が許してくれる女性は、あなたしかいないのです」
それも確かなことで、そもそもこの跡取り息子のためにと最初に「息子と会って欲しい」と杏里に申し出たのは彼の母親だった。
彼、大澤 樹の母親が、百貨店で外商員をしている杏里のことを気に入ってくれ、そのまま『息子に会ってみない』と食事をセッティングされ……というのが経緯だった。外商員見習いとして上司について、小樽にある彼の実家邸宅によく訪問していたので面識があるにはあった。
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