③契りの日

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 もしかすると私たちは、その生い立ちでどこか通じあったのかもしれない。  美紗が『愛する男の正妻に是非』と許してくれた訳を、杏里は後にそう思うようになった。 ---❄  大澤樹が跡を継いだ『大澤倉庫・観光グループ』は、北海道開拓明治時代、小樽に港が開港された時に倉庫業から発展。北海道の鉄道は、この小樽から発展している。小樽港から物資が出入りする、または石炭などが送り出される玄関口だったためだ。  そのため、当時の日本でも大手だった銀行が鎮座し金融の要もここにあった。札幌よりも賑やかな繁華街だった時代から脈々と継いできたのが『大澤倉庫』だった。  若社長となった樹は湾港物流業を主軸のまま残しつつ、現代的な部分では、小樽観光向けの飲食業に枝葉も伸ばし成功していた。  樹自身が手がけたのは、明治時代からある実家事業の煉瓦倉庫を居酒屋として開業した後、小樽の雰囲気にマッチした古民家風のカフェ、土産物屋、煉瓦造りのバーなどの観光飲食業だった。  暴君だった父親もそれなりの手腕があったと聞くが、この四代目若社長の樹をここまでの事業主に英才教育をしたのは、母親の江津子(えつこ)だという密やかな噂もよく耳にする。  杏里を『息子と会ってみない』と見初めてくれた母・江津子は、もとは函館地方の旅館などを営むグループのお嬢様だったとのこと。樹の父親、三代目社長とは、つまりは『政略結婚』となり、愛などないということだった。  そのぶん、両親兄弟から観光業のノウハウを培ってきた母・江津子が、妻と母の使命を持って育てたのが長男の樹だ。
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