5117人が本棚に入れています
本棚に追加
男なんて大嫌い。父もあの男も全部。なのにこの歳になってまだ結婚しないのかとここ数年口うるさい。結婚なんてしたくない。そう思っていたのは、全てあの見合いのせい。三十をすぎても結婚できない女は『負け犬』なんて言葉が流行っているせいで、杏里は負け犬だとまた父に罵られる。
女は結婚して子供を産んで育てて一人前。まだそんなことが当たり前に囁かれる。幾分か女性の生き方が多様化してきた平成の代になっても。
ずっと独身でいられるよう、気を強くして、仕事で生きていこうと百貨店勤めに邁進してきた。
そんな時に樹が現れた、彼の母親の目に留まった。愛人もできた女だった。
樹のような男に出会えるかといえばそうではない。
ここで言う『樹のような男』とは家柄も良く美しい彼のことではない。『女性優位で接してくれる男』という意味だ。
この男しかいないだろう。もう杏里はそう思えていた。
朝焼けの小樽湾が見える個室の風呂に、彼と一緒に入る。
「綺麗ですね」
「うん、綺麗だ」
彼は悠然としている。その彼と目が合う。杏里も微笑んでいた。
初めて感じる男性との穏やかな時。そして甘美なもの。
その後に執り行われるであろう盛大で華やかな結婚式よりも、杏里はこの朝のことを『契りの日』として心に刻むだろう。
彼と結婚したのはこの朝だったのだと……。
彼の母親のように、跡継ぎを産み、育てる母になろう。
❄ ❄
それから婚約の準備が始まったのだが、偶然にも『あの男』と遭遇してしまった。
樹と結婚式の相談へと出向いていたホテルのラウンジで再会したのだ。
最初のコメントを投稿しよう!