5118人が本棚に入れています
本棚に追加
婚約者――と言い放ったその言葉に、元見合い相手の男が目を瞠り吃驚の様相を見せた。彼の隣にいる母親もだった。彼女も杏里のことを見合い当時から見下げていた。杏里の父親から持ち込んできた見合い話だったから、下に見ていたのだ。『しかたがないから見合いをしてやる。地方公務員程度の家庭の娘』という見下しようだった。うちの息子には相応しくないと最初から思っていたのだろう。だから杏里にいま婚約者がいると知って、母親もおののいている。
そして彼も気がついたのだ。『ああ、おまえか。下手くそなクズ男とは』。杏里を虐げた男が目の前にいる、それだけで彼が戦闘態勢を取ったことも伝わってきた。まだ彼のことを、深くは知らない杏里は呆然とするしかない。
しかも樹も容赦しなかった。
「人が連れている婚約者をつまらないとは?」
「い、いや。こっちはそういう情報を持っていてだね。そちらもお見合いかな。だったら、もっと彼女のことをよーく知ってから決めたら良かったんじゃないかなと忠告しておくよ」
その女を抱いたから知っている。つまらないセックスだったよ。と、この男はほのめかしたのだ。
樹の眉間の皺が深く刻まれる。大澤家の若社長の婚約者を侮辱され、黙っている男ではないといったところか。
鬼気迫る空気を放つ樹が、元見合い相手の男の鼻先に迫るほどに顔を近づけ、男を睨み倒す。
だがそのあと、樹は男を見て、ふっと表情を緩めたかと思うと鼻で笑ったのだ。
「忠告、ねえ」
樹は笑みを浮かべたまま、ちらりと晴れ着姿のお嬢様と父親を横目で見た。
「忠告かあ……」
念を押すように呟き、また相手の男を今度は下から覗き込むようにニヤニヤと見上げた。
最初のコメントを投稿しよう!