⑥蜃気楼の坂の上

4/7
前へ
/916ページ
次へ
 夫のそばで秘書としての修行を終え、杏里は『大澤ガラス』のオーナーとなる。夫の指導を受けながら、小樽運河の観光地にガラスのセレクトショップを開店。遠藤親方が管理するガラス工房も、小樽から始まった最初の鉄道跡がある手宮付近に始動しはじめた。そこから仕上がる職人技のガラス製品を土産物として販売することから、杏里の事業はスタートしたのだ。  同時期に、樹と杏里は盛大な結婚式を執り行い、正式に夫妻になった。  そのあとすぐに妊娠が判明する。いわゆる、ハネムーンベビー。すぐに妊娠が出来たことに杏里は胸をなで下ろしたほど。  すぐに樹を美紗に返すことができた。  彼女とは、入籍前にもう一度『意思確認』のために、樹と義母を挟んで面会をした。  彼女も今後は『愛人としての立場で異存はない』と改めてその意志をはっきりと示した。  毅然とした美しい彼女を見て、杏里はふと思った。  彼女はもっと違う決意をしていたのではないのかと、少しだけ。おなじ女として、少しだけ。 ---✿  数年が経つ。いま、杏里が登る坂道を振りかえると、小樽の湾港が見える。そこ蜃気楼があらわれていることに気がついた。向こう側、石狩とオロロンラインがある遠いそこに、ゆらゆらと揺らめく工業地の姿。  小樽に蜃気楼が現れると春だとかんじる。  杏里はもう若い女性ではない。最近、耳にするようになった言葉を使うならば『アラフォー』だ。  坂を上りながら、杏里は先ほど会った遠藤親方との話し合いを思い出す。
/916ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5116人が本棚に入れています
本棚に追加