⑥蜃気楼の坂の上

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「はい。芸術をしてやろう!ってね。芸術=奇抜になる。それって職人として『黒歴史』だったり、職人の『中二病』とでもいいましょうか。ふつうは隠したくなるんですけれどねえ。送ってくるだなんて度胸があるなこの子」  黒髪で涼やかな顔立ちの彼女、履歴書に貼られている写真を見て遠藤親方はずっと笑っている。笑っているだけで、それ以上はなんとも言及はしてこない。  だから杏里から所感を述べてみた。 「現物の製品もすごく拙いと、私は思いますけれど。うちの工房で製品を作っていけるレベルかどうか」  どちらかというと『使えるレベルギリギリ』が杏里の判断だった。  だが遠藤親方は、そのガラス製品を愛おしそうに手に包んで、穏やかな笑みを滲ませ呟いた。 「そうですね。拙い。でも教え込んだらやれるレベルかと。それに、この製品。技術が追いついたら化ける気がします。彼女のやる気次第ですね」  職人としての判断だった。杏里は釈然としないが、親方の判断に委ねることにした。  同様に、拙い技術ではあるものの、現物で送ってきたガラス製品に惹かれるものがあったのも確かなことだった。 「遠いな。山口の山陰ですか。親御さんはどう思われていることか……」  親方が不安そうに口元を曲げた。杏里にも親方が案ずることがなにかすぐにわかった。将来が見えない職人を目指す道を不安視して、反対をする親御さんが多い。ましてや、若い女の子。  杏里がアラフォーと呼ばれる時代になっても、女性たちは三十歳までに結婚をしたいという目安が根強く残っていた。  結婚したら勝ち組、子供を持ったら勝ち組、専業主婦でもかまわない甲斐性を持つ男性と結婚できたら勝ち組。女性の生き方に以前よりも多様化が進んでいても、結婚に関してまだそんなことが囁かれる。  いちばんの正解は、女性がどのように生きても誇らしくある社会ではないのか。
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