⑧穏やかに淡くなる

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 見た目正常な夫妻には、男児ふたり授かった。  見た目正常な一家は、ちいさな子供を囲んで、祖母と父と母と叔父が健やかな家庭を育んでいる。大澤家の姿は、誰が見ても『つつがない家庭』にみえることだろう。  しかし、その影には、誰もが手にしても当然の幸せを諦めた女性がいる。その彼女のことを、忘れてはならない。杏里は常にそう思ってきていた。  邪魔はしない。美紗も徹底してくれていた。  杏里が、長年の恋人である夫と彼女の生活に無関心で通したように。美紗も夫妻になった樹と杏里には無関心でいてくれた。  樹が美紗を大事に愛していく日々が続けば、それが彼女のしあわせだと……。杏里は信じていた。  でも。今日、日傘をさして待ち構えていた彼女の姿を見たとき。そうではなかったのかもしれないと杏里は初めて感じ取った。  過ごしやすい陽射しの中、ベビーカーに戻った次男がすやすやと微睡み始める。それすらも美紗は愛おしそうに見つめてくれている。  長男の一颯にも『お菓子、おいしいの』とベビー煎餅をほおばってご機嫌な姿を見て嬉しそうに話しかけてくれる。杏里が差し出したストローマグを手にしてごくごくと麦茶を飲む姿も、微笑ましく眺めてくれている。    緑の葉がさざめく木陰のベンチで、美紗に聞かれる。 「杏里さんもお父さんで苦労したみたいね」    こちらも樹や優吾から大方聞いているのだろう。
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