⑩子犬ちゃん、ほしいものある?

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 杏里が見守ること数年、経理についても美紗に任せても安心できるほどまでに習得したので、彼女にオーナーの権利と名義を譲渡した。  その頃から。夫と美紗に距離が出来た気がしている。  夫は子犬ちゃん拾いと援助に精を出し、愛人はカフェ経営に夢中になった。  そして杏里は、子育てと大澤の事業に邁進する。 「倉重花南です」  本人と面接する日が来た。  シンプルなカットソーとジーンズだけの質素な女の子だった。  化粧気もなく、髪型もただ伸ばしているだけ、自分でカットしているのではと思うぐらいに洒落っ気がない。なのに、妙に色香がある……。杏里はそう思った。  面接として、オーナーの自分と親方の遠藤が並んで対面したが、遠藤親方はずっと楽しそうにしていた。  大学で何をしたのか、どんな創作活動をしてきたのかと、いままで面接でそこまで聞かなかっただろうと思うぐらいに彼女に興味を持っていた。  では。今日は実技試験もということで、コップをひとつ工房で作ってもらうことに。  細身の彼女が130センチのステンレス製の吹き竿を手にして、溶解炉の中にある溶けているガラスを巻き付ける。  竿を口元にくわえ息を吹き込む。下玉を作りまた溶解炉に竿を入れ、次は上玉。新聞紙で転がして形を作って、焼き戻し炉で形を維持させ……。手慣れていた。  無表情に淡々とこなす姿に、彼女の本気と、ガラスを見つめるひたむきな眼差しに純真さを感じた。 「親方。採用でいいですね」 「はい。育てあげます。必ず――」  履歴書を見た時よりも、親方と気持ちが揃い、ともに確信をしていた。  女性の職人としての感性を見てみたいと、杏里の胸に期待が広がった瞬間だった。
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