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なんで私、夫の変な趣味のためにこんなこと聞いているのと杏里は自分でも呆れながら問うていた。
だが杏里も興味が湧いてくる。なんで、なんでこの子、こんなに無欲なの――と。
今日も無地のシンプルなTシャツに作業ズボンという質素な服装に、工場エプロンをしている彼女が、無表情に返答した。
「ありません。ガラスさえ作れたらそれだけで満足です」
これはあり得ないが何度も聞かないために杏里は踏み込む。
「将来、あなたのための工房を作ると言ったら?」
なんとも言えない、もの凄い顔をされた。無表情な彼女が初めて露わにした変化だった。嫌悪されているとも喩えられるし、こちらがただただ困らせているようにも見える顔だ。
「私に工房ですか。遠藤親方に毎日、出来上がりを割るように判断されていますのに? 何年も後になりますし、いまなら一ヶ月で潰れますよ。たぶん、実家の父や兄はそう言うと思います。なんのためにそこまでしてくださるのですか。私、ここにいることになにか不都合が……あったの、でしょうか……」
あ、この工房から追い出すように聞こえた? 紅一点の職人だから、男世界である工房の輪に馴染まないと思われた? まずい。杏里も焦った。
「違うの。この前、あなたのキャンドルホルダーを見て、こちらの会社側であなたの将来性に期待して、ちょっと話が飛躍しているだけなの。気にしないで。この話はここでお終いにします。安心して、ここで精進してくださいね」
ああ……。二十五歳にもなっていない女の子に、振り回される社長と工房オーナーと、ベテラン親方。
不思議な子。杏里は一歩引いて花南を見守りながら、彼女に真っ当な発言を自然にさせた『父と兄』がちょっと気になりだした。
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