⑪花香る

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⑪花香る

「花南さんはなにも望んでいません。他の子を助けてあげてください」  今回だけは、せっかくの女性職人と変な『しがらみ』を生みたくなく、夫にはっきりと杏里は告げた。  自宅の書斎で、就寝までの仕事の見直し作業をしていた夫が、まだスーツ姿のままで腕組み首を傾げた。 「なあ、あの子。なんであんなに質素なのに、無欲なんだ。あの年頃の子はもっと欲があると思っていたんだけれどな」 「はっきり言わせていただきますね。お金をちらつかせれば、若い女性は皆、あなたに感謝して喜ぶとお思いでしたか」  言いたくなかった。樹は表は気高い様相に固めてクールに振る舞える男だが、怒った時は、背後に炎を舞い上がらせることは妻としてわかっている。だがここは妻として言わねばならぬことで、時でもある。  さすがに樹も痛いところを突かれたのか、大きなため息を吐いた。 「わかった。もう以後、なにもしようとしないから。ただ、女性職人としてどうにかしてやりたいだけだったんだ」  それは杏里もわかる――と、同意してしまったぶんふっと気構えていた力を抜いてしまった。 「わかりますよ。女性のセンスを秘めていて、技術が追いつけば良い品を作り出す原石です。どこかで挫けないよう、修行に没頭できるよう、金銭面で困らないようにしてあげたかっただけですよね」 「そうだよ。でも、いまは俺の力はいらないみたいだな。『まだ』その段階ではないとわかった。あとは杏里に任せる」  はあ? 私に任せると。最初から『私の工房の職人です』と吠えたくなった。  なんだろう。こんなイライラするの、初めてかもしれなかった。
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