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迷い道で肥大させていた歪な姿を、真っ直ぐ生きようとしている花南に真っ向からカウンターパンチを食らったことを言っているとわかっていた。
特に杏里には『実家家族のしあわせです』という言葉が突き刺さっている。彼女は遠い北国に援助なしでひとりきりでやってきたのに。遠い家族を思う健気な心。父親が祝ってくれた品を唯一の宝物のように大事にする心。その生き方を『質素だから助けてやる』とのたまう、迷い道で歪んでしまった大人の男の姿たるや。
いつも威風堂々としていた樹が、二十四歳の女性にこてんぱんにやられる。妻の目の前で、弟の目の前で、母の目の前で。訳がわからずとも小さな息子たちの目の前でも、だった。
いままで持っていたプライドを粉々にされたのだろう。
「でも。私は妻で、あなたのパートナー。どんな姿もあなただと思ってる」
乾杯もなしに樹から、やるせなさそうにグラスを呷っている。
「女としての人生を狂わせた」
「私に居場所を与えてくれたし、今日まで守ってきてくれた。充分です」
「恋人を作っていいと言ったこともあるだろう」
「恋などしたくないと言ったはずです。焦がれる相手にも出会わなかった。それだけです」
そうは言ってみた杏里だが。ときめいた男はひとりだけ。
それは口が裂けても言わない。一生――。あなた以上に素敵に見える男性がいなかっただけだ。
彼がグラスを片手に持って項垂れる。小樽湾の月が、こんな時に彼を明るく照らしている。
こんな情けないあなたを見るだなんて。でも、これは杏里がさせている姿でもあるのだから目を逸らさない。
「恋以外なら手に入れました。愛はありますよ。あなたにも」
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